モルモン書・ニーファイ第一書15章の要約と感想

ニーファイ第一書15章には、ニーファイが、兄たちに、リーハイが語ったことや命の木の示現の解き明かしをすることが記されています。

ニーファイは、預言の中でわかりにくいことがあれば、神さまに尋ねるように勧めている。

オリーブの木のたとえは、アブラハムの聖約が成就するために、ヤコブの家(子孫)が散らされた後、再び集められること、異邦人にも福音が伝えられることを示す。

神さまの正義は、悪人を義人と隔ててしまう。罪を犯さない人はいないので、神さまは大きな愛と憐れみをもって、人が罪を赦される方法を示し、を善に導こうとされる。

こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のニーファイ第一書15章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。

モルモン書のニーファイ第一書15章には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。

モルモン書・ニーファイ第一書15章の要約と感想

モルモン書のニーファイ第一書15章は掲載すると長くなるので以下には掲示していません。
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
ニーファイ第一書15章のオンライン版はここをクリック
※別タブ(画面)で開きます

ニーファイは示現で見たことに圧倒されていた

ニーファイは自分の民の歴史を見て
自分の子孫の多くが滅びてしまうのを知った。

そして家族のもとに戻ってみると
兄たちが父の話したことについて言い争いをしていた。

父の話したことを理解するには
神さまに尋ね求める必要があったが、

兄たちは心をかたくなにして
神さまの仰ぎ見ることをしなかった。

ニーファイは、人の子らが心をかたくなにして
神さまから離れていくのが確かに起きることを知って
自分の子孫が滅びるという思いに圧倒されていた。
(1-5節)

神さまから答えを得方法

兄たち(レーマン、レムエル)は、
霊的でわからないことがあっても

神さまはこんなことを自分たちに明らかにしてくれない
と決めつけて、神様に尋ねることをしなかった。

ニーファイは兄たちに答えを得る方法について語った。

  • 神さまに対して心をへりくだらせる
  • 神さまの戒めを熱心に守る
  • 答えを得ると信じる
  • 信仰(忍耐)をもって神様に求める

(8-11節)

オリーブの木の解き明かし

ニーファイは兄たちの問いに答えて
リーハイのオリーブの木のたとえを解き明かした。

  • イスラエルの家(部族)を自然のオリーブの木にたとえる。
  • イスラエルの家(部族)には、様々な時に、いろいろな場所に連れていかれた人たちがいる。
    これは、自然のオリーブの枝がおり取られ、様々な時に挿し木されるということを示す。
  • 神さまの御子、救い主、贖い主が世に来られたのち、リーハイの子孫が不信仰に陥ったのち、
     異邦人に完全な福音が与えられ、異邦人からリーハイの子孫に福音が伝えられる

    これは、挿し木されたのち、野生のようになったオリーブの枝が、また、自然の枝に継ぎ戻される、ということを示す。

(12-16節)

異邦人にもイスラエルの子孫にも救いの手が伸ばされる

散乱したイスラエルを
連れ戻すために

異邦人によって
イスラエルの子孫に
福音が伝えられる。

その結果

異邦人にもイスラエルの子孫にも
救いの手が差し出され

求める者は
救いに至る道を知るようになる。

救いの道が示されれば
喜び、賛美し、救い主のもとに来るでしょう。

イザヤが語ったように
イスラエルの家が回復されたのちは
乱されることも、散らされることもない。

それがアブラハムに約束された聖約
 アブラハムの子孫(イスラエルの民)によってすべての人は祝福を受ける
である。
(13~20節)

リーハイの夢の解き明かし

生命の木は神さまの愛。
贖い、救い、憐れみ。

神さまの御子、救い主、贖い主が自らを犠牲にして、人が救われる道を備えられた。
その大きな愛。

鉄の棒はそこに至る道を教える
神さまの言葉、戒め。

世の誘惑を乗り越え
神さまの言葉を学び
神さまの教えから
離れずに最後まで進むなら

永遠の生命を得る。

つまり
神さまとともに住み
神さまのようになることが
許される。

汚れた水は悪人を隔て
彼らのために用意された地獄。

神さまの正義も
悪人を義人から隔てている。
(21~30節)

罪人の苦痛は永遠に続く

人はこの世での行いに応じて裁かれる。

邪悪なままで死ぬならば、
神さまの国に入ることができない。

神さまの正義によって追い出され、
彼らは悪魔が用意した地獄に入る。

悪人の苦しみは現世にも
最後の裁きの後にも続く
(31~36節)

人が救われる道はひとつ

罪を持ったまま
神さまの栄光は受けられない。

人は罪を犯す。

キリストを信じ
悔い改めてキリストの贖いにより
罪から清められたのちに

神さまのみもとに帰る。

わたしたちへの無償の愛。

神さまは拒むものに
強制はされない。

愛を受け入れるかどうかは
わたしたちの選び。
(34~36)

年若いニーファイの理解は深い

このときニーファイは
まだ年若い青年。

しかし
福音に対する理解は深い。

年若くても
福音の深い知識を身に着ける
ことはできる。。

年齢を重ねるだけでは
得られない知識もある。
(14~16節)

おまけ

20代のころに書いたメモ

父の見たこと、言ったことは偉大であったが、人が主に尋ねなければわかりにくいこと
 ニーファイは主に尋ねた。兄達は主に頼ってはいない。

ニーファイは自分の子孫が滅びていくのを知って悩みにうち負ける。
 兄たちが結局背いてしまうこともはっきりと見る。
 力がもとに戻ってから兄たちの話を聞く。

兄たち
 不信仰・・主はこんなことを我々に知らせない。

ニーファイ
 心を頑にせず、答えを受けると信じるほどの固い信仰を持ち、戒めを勤勉に守って主に願えば与えられる。

イスラエルをかんらんの木にたとえる。
 福音はイスラエル人から異邦人へ、異邦人からイスラエル人へ伝えられる。

ニーファイはレーマン達にリーハイの言葉を解説する。レーマン達の心がとける。

罪悪を行うものの状態-->レーマン・レムエルの不平 16章
ニーファイは機会のあるごとに兄たちを精神を尽くして励ました。

モルモン書・ニーファイ第一書15章からあなたは何を学びますか



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この物語からあなたは何を学びますか

ここまで読まれて、自分には関係のない話だ、何の役にたつんだ、と思われているかもしれませんね。

わたしも最初に聖書を読んだとき、とても信じられない、こんなことありっこない、と思っていました。
それでも、その後、何度か聖書に出会う機会があり、読む機会があり、自分に当てはめて考えるようになりました。
そのうちのいくつかをここに示しました。

あなたも、この物語から、自分に役立つなにかをみつけていただければ幸いです。

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
(ヨハネによる福音書5章39節)

聖書のこの書、この物語のどんな点でイエスキリストを見出しますか?
ここまで読んでくださったあなたへ
あなたは神様の子で、神様のみもとに永遠に住むことができる存在にです。
地上に来たのは、いろいろな経験により、あなたの能力が増し加わり、ほかの人を助けることができるようになるためです。

わたしもこれから成長していきたいので、あなたとともに歩んでいきたいと願っています。

神様はあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。

ご質問があれば、下のほうにコメント欄があるのでそちらに書き込んでください。

聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
あなたがこの世に来たのは、神様の戒めに従って生きるため。
神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えても、それに惑わされずに生きるために神様は道を示してくださいます、
そして、たとえ道を誤ったとしても、また戻ってくる方法があります。

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