モルモン書・ニーファイ第一書19章の要約と感想

モルモン書のニーファイ第一書19章には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。

こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。

モルモン書のニーファイ第一書19章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。

モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。

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モルモン書・ニーファイ第一書19章の要約と感想

モルモン書のニーファイ第一書19章は掲載すると長くなるので以下には掲示していません。
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
ニーファイ第一書19章のオンライン版はここをクリック
※別タブ(画面)で開きます

ニーファイ第一書19章には、ニーフアイが神さまから命じられて、2組の記録を造ることが記されている。

  • ひとつは民の歴史、もうひとつは民への務めと預言。
  • どちらも、神さまと神さまを求める人に有益となることが書かれている。
  • 読み手がその価値を認めるか、認めないかを決めることができる。
  • ニーファイは、聖文を自分に当てはめ、利益とするように勧めている。

預言者ゼノク、ニアム、ゼノスが述べる、救い主の誕生と犠牲となることの証や
主なる贖い主を信じるようにとのニーファイの願いも記されている。

ニーファイは歴史記録を作る

約束の地に着いた後、ニーファイは、神さまに命じられたので、あらがねで版を造り、民の歴史を刻んだ。
のちに、ニーファイの大版と呼ばれる歴史記録である。

そこには、

  • 父リーハイの記録
  • 先祖の系図
  • 荒野での旅の行動記録
  • 父リーハイの預言
  • ニーファイの預言
  • 民の戦争と争いと滅亡のいきさつ

がくわしく記されている

そして、ニーファイが死んだ後にすることを民に命じ、
神さまが別の命令をくださるまでは、この版を代々譲り伝えるように命じた。
(1-2節,4節)

ニーファイは民に対する務めと預言の記録を造る

民にとってわかりやすくて貴重な、民に対する務めと預言の記録を、歴史記録とは別に造り、保存するように、神さまから命じられた。
ニーファイは、この記録を預言者から預言者へと伝えるように民に命じた。

この版には、神聖であることだけが記録される。
そのことで、もし過ちがあれば自分の弱さのためである。

自分たちは、この記録が肉体にも霊にも大いに価値があると認めている。
しかし、人によっては取るに足りない無価値なものとみなすかもしれない。

それはちょうど、イスラエルの神さまですら、取るに足りないと判断して、その勧めの声に聴き従わない人もいるのと同様である。
(3-7節)

救い主がエルサレムに来られることの預言

リーハイがエルサレムを去ってから600年後に、神さまの御子、世の救い主、贖い主が世に来られる。

イスラエルの子孫は、自分たちの罪悪のために、御霊を受けなくなっているので、世に来られた救い主を取るに足りない者と判断する。
彼らは、自分たちの救い主を鞭打ち、打ち、つばきを吐きかける。

イスラエルの民を救い導かれた神さまは、人の子らに対する愛にあふれた優しさに富んでおられるので、一切のことに耐え忍ばれる。

むかしの預言者が預言した通りに、イスラエルの民は救い主を十字架につけ、墓に葬る。
そのときに、しるしとして、3日間の暗闇が訪れる。

そのとき、義人には喜びと救いをもたらし、悪人には様々な災害が訪れる。

地の岩は裂け、大地がうなりを起こすのを見て、海の島々の多くの王は御霊に動かされて
「万物の神が苦しみに耐えておられる」と叫ぶ。

これらのことは確かに起こった。
(8-12節)

救い主の愛と憐れみ

救い主を鞭打ち、苦しめたのはわたしの罪。

救い主は、わたしの罪を贖うために苦しまれたのだから。

わたしが、なんでもないと見過ごす

 不従順、反抗、怠惰、怒り、冷淡、不親切、不正

救い主は愛と寛容とで、それらの重荷を負ってくださるだろう。
(9節)

わたしたちの罪を赦される

十字架にかけられ、ローマの兵士に嘲笑われ、それでも、彼らの赦しを願われた。

何をしているかわかっていないからです、と父なる神さまに祈られた。

私たちも同じように、弁護してくださるのだろうか。

何をしなかったか、わかっていないからです、と。
(9節)

イスラエルの子孫は鞭うたれる

エルサレムに住むものは、自分たちの神さまを十字架につけ、心を背けて、神さまをさげすみ、しるしも不思議も神さまの力も栄光も顧みないので、すべての民から鞭うたれ、国々をさまよい、滅び失せ、あざけられ、笑いぐさとなり、憎まれる、と預言され、その通りになった。

その後、「彼らが、悔い改めて、イスラエルの神さまに心を背けない日が来るとき、神さまはアブラハム・イサク・ヤコブと交わした聖約を思い起こされ、彼らを地の四方から集める」とも預言されている。

「そのとき、イスラエルの民は救いを得、すべての国民、部族、国語の民、民族も、ともに祝福を受ける」とも預言されている。

これらの預言は、現在進行中であることを知るだろう。

いずれはだれもが否定できないときがくる。

イスラエルの聖者、全世界の救い主に対して、心をかたくなにしない人を、救い主は四方から集められ、彼らを救われる。
(13-16節)

ニーファイの望み

ニーファイが二つの版、特に、民に対する務めと預言の記録を造ったのは、のちの民が、自分たちの神さま、救い主、贖い主を覚えるようになるためであった。

神さまは、昔の預言者に、エルサレムに住む人たちや、そこから連れ出された民について、神さまがなされることを示された。

真鍮の版には預言者の記録が記されている。その記録を、自分たちにあてはめ、利益や知識となるようにすること、それがニーファイの望み。
(18-24節)

イザヤ書を学ぶ

ニーファイはこのあと、わざわざ、小版にイザヤ書を転記した。
※版に刻むのはかなりの労力が必要である。

イザヤ書を読むのは、主なる贖い主を信じるように勧めるため。

すべての聖文を自分たちの利益や知識にするために自分たちに当てはめる。

原則を見つけ、自分に置き換える。

そこから知識を得る。

そのために、ニーファイはわざわざイザヤ書を転記した。
(23-24節)

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ここまで読まれて、自分には関係のない話だ、何の役にたつんだ、と思われているかもしれませんね。

わたしも最初に聖書を読んだとき、とても信じられない、こんなことありっこない、と思っていました。
それでも、その後、何度か聖書に出会う機会があり、読む機会があり、自分に当てはめて考えるようになりました。
そのうちのいくつかをここに示しました。

あなたも、この物語から、自分に役立つなにかをみつけていただければ幸いです。

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
(ヨハネによる福音書5章39節)

聖書のこの書、この物語のどんな点でイエスキリストを見出しますか?
ここまで読んでくださったあなたへ
あなたは神様の子で、神様のみもとに永遠に住むことができる存在にです。
地上に来たのは、いろいろな経験により、あなたの能力が増し加わり、ほかの人を助けることができるようになるためです。

わたしもこれから成長していきたいので、あなたとともに歩んでいきたいと願っています。

神様はあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。

ご質問があれば、下のほうにコメント欄があるのでそちらに書き込んでください。

聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
あなたがこの世に来たのは、神様の戒めに従って生きるため。
神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えても、それに惑わされずに生きるために神様は道を示してくださいます、
そして、たとえ道を誤ったとしても、また戻ってくる方法があります。

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