モルモン書・ニーファイ第二書9章の要約と感想

ニーファイ第二書9章には、ニーファイの弟ヤコブが救いの計画を丁寧に民に教えているところが記載されている。
アダムの堕落により人は死すべきものとなり、人はそれぞれ善悪の選びにより、行く末が決まる。
悪魔は絶えず人を誘惑し、神さまは自らの贖いにより、みもとに来るものを助け導く。
神さまの聖約と愛の偉大さを覚えて善を選ぶ人は

こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のニーファイ第二書9章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。

モルモン書のニーファイ第二書9章には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。
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モルモン書・ニーファイ第二書9章の要約と感想

モルモン書のニーファイ第二書9章は掲載すると長くなるので以下には掲示していません。
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
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ヤコブはここで救いの計画を話し始めた

ニーファイ第二書6章から10章までは、ニーファイの弟ヤコブがニーファイの民に語った言葉の記録である。

ジョセフスミスが口述したときには、モルモン書は章や節には分けていなかったので、現在のモルモン書が章や節に分かれているのは学習しやすいようにとの配慮から後に付け加えられたものである。

ニーファイの弟ヤコブは「兄ニーファイが望んだので、これから起こることを話すために、イザヤの言葉を読んで聞かせる」と話している。(ニーファイ第二書6章4節)

ヤコブは、
(6章)イザヤ書49章22節~26節を使って、イスラエルの子孫が再び集められること、救い主がエルサレムに肉体をもって来られるが十字架につけること、救い主の憐れみによって、救い主を知るようになる時に再び受け継ぎの地に集めあれること
(7章)イザヤ書50章:イスラエルの子らが祝福を失ったのは、自分たちが神さまとの聖約を守らなかったから。しかし、神さまに従うならば救いを得ること
(8章)イザヤ書51章と52章の冒頭:聖約から離れたイスラエルの子らは苦しみを負うけれども、神さまの助け(僕らの働き)によって、聖なる都シオンに集められること
を語ってきている。
そして、そのあと自分の言葉で
(9章5節~27節)救い主が苦しめられ、亡くなられるが、その無限の贖罪によって全人類は堕落から贖われ、全人類に復活がもたらされること。そのあと、神さまの裁きを受けること。神さまに従って生きた人たちは神さまの王国に救われること
(9章28節~52節)裁きの座で、そして、裁かれた後、苦しむことが無いように、どのように生きるべきか。
を語っている。

9章の4節と5節には、当時(紀元前550年ごろ)のニーファイ人の多くが、聖文を調べ、肉体の死のあとで再び肉体を得て神さまに遭うこと、エルサレムで、将来、神さまが肉体にあって人々にご自身を洗われることを知っていたことが記されている。
イザヤを含む古代の預言者はこれらのことを書き記し、それを理解していた人たちがいた、ということである。

救いの計画には、誕生、背き、聖約、堕落、信仰、贖い、復活、裁き、永遠の行く末、という要素がある。

それは、アダムから人類が生じ、イスラエルは神さまとの聖約から離れ、離散し、苦しみを受けるが、アブラハム・イサク・ヤコブと交わされた聖約が今も覚えられており、贖われて、再び集められ、・・ということとつながるのではないかと思える。

集合の鍵を持つモーセ(教義と聖約110:11)が、天に取り上げられるまでにしたことは、エジプトで400年間過ごし、奴隷となっていたイスラエルの民を、当時最強であったエジプトから連れ出し、カナンの地を目指したが、民の罪のために、40年間荒野を彷徨ったことである。
エジプトからイスラエルの全部族を連れ出すことは、集合ということなのか。イスラエルの民は、肉体的な奴隷の状態・エジプトの習慣・霊的な奴隷の状態から「解放」された。悔い改めて神さま(の福音)のもとに来る、ということが集合ということ、と理解している。

民が神に背けば世界中に散らされ、悔い改めれば再び集められる。
申命記 30章
イザヤ書 11章11-12節
エレミヤ書 31章10節
エゼキエル書 36章24節

神さまがイスラエルの家(子孫)と交わされた聖約

神さまがイスラエルと呼ばれたヤコブの家(子孫)と交わされた聖約。

古代から預言者たちによって語られてきた通り、

イスラエルの家(子孫)であるユダヤ人とイスラエルの民が
神さまのまことのあつまりに回復され、
受け継ぎの地に集められる。

これを語っているヤコブにとって、

イスラエルの家(子孫)がエジプトを逃れ、
アブラハムに約束されたカナンの地に入り
そこに定住したのは過去のこと。

なので、ヤコブが話しているのは
これからおきること。

古代からの預言者も、

サマリアの北王国の民が散乱し、

エルサレムのユダヤ人がバビロンに捕囚されたのち
再びエルサレムに戻ることや、

そののち、エルサレムを訪れた救い主を十字架にかけ、
世界中に散乱するが、

やがて来る子孫にも、
末の日に、同じ祝福(回復と集合)があると預言している。

ニーファイの弟ヤコブは、ニーファイ人(イスラエルの家の残りの者)に喜びをもたらそうとして語っている。
(1-3節)

死後の復活

民は将来におきることを知ろうと努力した。
その結果、死後(霊と肉体が離れた後)に
再び肉体を得て、神さまにあう
ということを知った。
(4節)

神さまの憐れみの計画

子なる神さま、救い主、贖い主が世に来られて
人のなすがままにまかせられ、
すべての人のために命を捨てる。

アダムが神さまの戒めに背いたので、人は堕落し、
生きるものすべてにふたつの死がもたらされた。ひとつは肉体の死。霊と肉体が離れることを指す。
もうひとつは霊の死。神さまから離れてしまうことを指す。

ひとは神さまから離れ、神さまのことを忘れて、現世に来る。

現世で生きる中で、道徳的な善と悪のいずれを選ぶかを自分で選ぶ。
良心に従って善を選んだり、ひとりよがりな欲望に従って悪を選んだりする。
そしてやがて、肉体の死を経験する。

救い主の贖いにより、すべての生き物が死後に復活する。
復活とは、霊が再び肉体を得て、二度と離れないことを指す。

救い主の贖いがなければ、わたしたちは、再び、肉体を持つことはできず、(死)
霊の状態のまま永遠に過ごすことになる。

これは、天で神さまに反抗したために、神さまの前から追い出され
肉体を得る機会を失ってしまい、今は悪魔となった霊たちと
おなじように惨めな状態である。

復活により、私たちは完全な(余すところのない)知識を持つようになる。

そののち、神さまの裁きの座で裁かれ、
義人は義とされ、汚れているものはけがれた状態に置かれる。

神さまの口から出たもの、神さまの律法は必ず成就する。

救い主に従って悔い改める義人は、
救い主の贖いにより、
罪を赦され、清められ、救い出されて、
神さまのみもとに帰って神さまの王国でともに住み、永遠の祝福を得る。
自分の喜びと自分の義について完全な知識を得、潔白(義の衣)をまとう。
つまり、霊の死からも救い出される。

汚れているものは、自分の罪、自分の汚れ、自分が裸であることを知り、
自分の良心の呵責の攻めを受け、永遠の炎に包まれる(霊の死:地獄)。

贖罪は無限の贖罪
しかし、
義は義のまま。

汚れは汚れのまま。悪魔と悪魔の使い。

義人:イスラエルの聖者の聖徒たち、イスラエルの聖者を信じてきた人たち、世の十字架を耐え忍んできた人たち、世の辱めをいとわなかった人たち。

(5-20節)

創世記3章の「裸」「ちり」「パン」のヘブライ語の意味

神さまはわたしたちを救うために苦しみを受けられた

アダムの背きのために、堕落して死すべき状態になったわたしたちに
わたしたちを救い、完全な栄光、すなわち、神さまの栄光を与えるため。
すべて、アダムの子孫として生まれてきた人たちの苦痛を受けられた。

父なる神さまは、神さまの御子を犠牲にされた。
御子はご自分の命を差し出され、わたちたちの苦しみを担い、人からの蔑みや苦痛に耐え、最後まで父なる神さまに従われた。

父なる神さまと、子なる神さまの全き愛。

(21-22節)

救いを得る条件

ひとが神さまの王国に救われるためには

  • 救い主を信じ
  • 悔い改め
  • 神さまの御名によってバプテスマを受け
  • 聖霊の賜物を受け
  • 最後まで耐え忍ばなければならない。

そうしなければ、神さまの王国に入ることはできないという罰を受ける。
その人を苦しめるのは、その人のうちにある、良心である。
(23-24節)

福音を知らずにいるひとたちへの救い

神さまの永遠の祝福を与えるために律法があたえられた。
しかし、律法を破り、神さまに反抗するものは祝福を取り上げられる。

律法を知らずにいる人は、律法に逆らったという罰も罪もない。
彼らも、救い主の憐れみにより、救われる。

救い主の愛を知って生きる喜びは永遠に続く。
(25-27)

悪魔の誘惑に打ち勝つ

悪魔の誘惑は、人の虚栄、意思の弱さ、愚かさに付け込む。

悪魔は人の欲や弱さにつけ込んで誘惑はするけれど、行動を決定するのは人。

罪を抱いたまま死ぬ人、つまり、以下のようなひとは、神さまのみもとに帰って御顔を仰ぐが、罪からは離れない。

  • 神さまの勧告に従うならば、学識があるのはよいことであるが、人は学識があると、自分のほうが賢いと判断して、神さまの勧告に従わないようになる。自分ひとりでわかると思って、神さまの勧告を無視する。そのひとの知識、知恵は、役にたたず、そのひとは滅びる。
  • この世のものを豊かにもつ富者が、貧しいものをさげすみ、柔和なものを迫害するならば、つまり、彼らはこの世の富をなによりも大切にし、富のためならなんでもするようになるなら、滅びてしまう。
  • 神さまの勧告を聞こうとしない人、正しく見ようとしない人、神さまに対してへりくだらない人、自分の罪悪をわかろうとしない人、自分の欲のために偽りを言う人、故意に人を殺す人、みだらな行いをする人、偶像を礼拝する人、も神さまの前で罪のあるものとされる。
    ※「偶像を礼拝する」とは、人、富、車、名誉、地位、など、神さま以外のものを神さまよりも大切にすることも指す。

人を蔑んだり、話をきかなかつたり、見ようとしなかったり、しなかったか、今日の自分を振り返ってみてほしい。

神さまに逆らう、狡猾なものの誘惑に打ち勝ってほしい。

もし誘惑に負け罪を犯したら、神さまの贖いに頼って、神さまの道に戻ってきてほしい。
神さまのみもとに帰る道は人の前にある。
その門を守るものは、救い主、贖い主であり、この門を通る以外に道はない。

真理はあらゆる汚れに対して厳しい。
義人は真理を愛する。真理におののかない。真理の言葉を恐れない。

神さまの道は義である。その道は狭いがまっすぐである。
その道の門を守るものはイスラエルの聖者。一人一人と顔を合わせる。
イスラエルの聖者は欺かれない。
イスラエルの聖者は、門をたたくすべての人に門を開ける。

(28-43節)

人の罪悪はその人の責任である

自分が責任を負っている人が罪悪を犯しているのを知りながら、何も忠告しないとき、その責任を負う。

正しく教え導いたうえで、その人が罪悪を犯すなら、その人の責任である。

自分にできるのは、愛をもって教え導くところまで。
その人の行動を決定するのはその人である。

(44節)

罪を捨てるように促す

ニーファイの弟ヤコブは、ずっと民のことを心配している。
罪を捨てるように、鎖を振り落とすように、救いの岩である神さまのみもとに来るように勧めている。

神さまの裁きの日のために自分自身を備えるように。その日に苦しまなくてもよいように。

ニーファイの民は罪を犯し始めており、罪の結果を教えて、罪から離れるように勧めるのは、指導者の務め。

ニーファイの弟ヤコブは、罪を忌み嫌い、義を喜び、神さまの聖なるみ名をほめたたえている。

(45節~49節)

神さまの救いは無料

渇いているものは水を与えられ
飢えているものは食べ物を与えられる。

本当に価値のあるもの、本当に満足を得られるものだけに、お金や労力を使うようにしてほしい。

  • 救い主のみもとに来て、豊かなものを得てほしい。
  • 絶えず神さまに祈り、神さまに感謝して、心を喜ばせてほしい。
  • 神さまの聖約の偉大さ、人のために苦しみを負い、人の幸福のために何事もなされる、神さまの愛を覚えてほしい。

神さまの恵みと憐れみにより、子孫が守られ、神さまの聖約の子となる。
(50-53節)

救いの計画

わたしたちが神さまのみもとに帰ることができるよう
救い主が備えられ、救いに至る道が示された。

天で神さまに反抗した霊たちは地に投げ落とされ、
今も神さまの子どもたちを誘惑し、
神さまのみもとに帰ることを妨げようとしている。

神さまはみもとに来るものを助けてくださる。
(9-14節)

おまけ

20代のころに書いたメモ

ヤコブの教え
 復活、贖い、救いの計画、救い主のこと

ニーファイの民
 聖文を研究したので、救いの計画についての深い知識を得た。

死:不完全な肉体、この世の苦難、勤めから離れて、完全な肉体を得るための過程。
肉体の死、霊の死:人は必ず受ける。
 救い主によって、復活(不死不滅、自由、万人)と贖い(永遠の生命、条件有り、義人)がもたらされた。

復活の時に完全な知識を得る。(自分の状態についても)

キリストの贖いにより、全ての人は復活して神の御前に立つ(霊の死からも贖われる)が、そこで、人は自分の罪により神の御前から追い出される。

義人はそのまま神の御前にいる。(救い)
律法のないところには罪はない。が、全ての人にキリストの光(良心)が及んでいる。
 モロナイ7:15-18;DC82:3

全ての人は与えられた律法に従って裁かれる。

学問のあること、富のあること:神に従うなら益になる。
 ヤコブ2:18-19   神に従わないならわざわい。

禍る人々  自分はどうですか。

真理:汚れた者にひどく当たる。1Ne16:2
   義人は恐れない。

救いに至る門を守のはイエスキリストご自身であるから、遜るものでなければ通れない。41-42節

この世の富を誇るものは、真の幸福がわからない。43節

指導者の責任:民を教え導くこと。44節

贅沢をいましめる。51節

52節とアルマ37:37とを比較
 祈ること、感謝することの大切さは、予言者なら、聖徒なら皆知っている。

主の誓約(イスラエルの子孫についての)を説く。ニーファイ人はイスラエルの子孫
 イスラエルの家の正しい枝となる。

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モルモン書・ニーファイ第二書9章からあなたは何を学びますか


この物語からあなたは何を学びますか

ここまで読まれて、自分には関係のない話だ、何の役にたつんだ、と思われているかもしれませんね。

わたしも最初に聖書を読んだとき、とても信じられない、こんなことありっこない、と思っていました。
それでも、その後、何度か聖書に出会う機会があり、読む機会があり、自分に当てはめて考えるようになりました。
そのうちのいくつかをここに示しました。

あなたも、この物語から、自分に役立つなにかをみつけていただければ幸いです。

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
(ヨハネによる福音書5章39節)

聖書のこの書、この物語のどんな点でイエスキリストを見出しますか?
ここまで読んでくださったあなたへ
あなたは神さまの子で、神さまのみもとに永遠に住むことができる存在にです。
地上に来たのは、いろいろな経験により、あなたの能力が増し加わり、ほかの人を助けることができるようになるためです。

わたしもこれから成長していきたいので、あなたとともに歩んでいきたいと願っています。

神さまはあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。

ご質問があれば、下のほうにコメント欄があるのでそちらに書き込んでください。

聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
あなたがこの世に来たのは、神様の戒めに従って生きるため。
神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えても、それに惑わされずに生きるために神様は道を示してくださいます、
そして、たとえ道を誤ったとしても、また戻ってくる方法があります。

当記事を含む当ブログ内の記事はすべて、執筆者の個人的な見解です。いずれかの組織・団体を代表するものではありません。

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