モルモン書・ニーファイ第二書25章の要約と感想

ニーファイ第二書25章は、ニーファイによるイザヤ書の解説。一言一句の解説ではなく、どうすれば理解できるようになるかを教えている。
ヤコブの子孫たちの悪癖。神さまの懲らしめを受け、再び約束の地に集められる。神さまの愛と救い。

こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のニーファイ第二書25章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。

モルモン書のニーファイ第二書25章には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。
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モルモン書・ニーファイ第二書25章の要約と感想

モルモン書のニーファイ第二書25章は掲載すると長くなるので以下には掲示していません。
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
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イザヤの預言がわかりにくい理由

  1. ユダヤ人(ヤコブの子孫)の預言の仕方を知らない
    比喩や詩、現実におきたたとえを用いて神さまの思いを伝える
  2. ユダヤ人(ヤコブの子孫)の風習を知らない
    神さまの戒めに逆らい、神さまを信じず、神さまに頼らなかった。
    周りの国の偶像を拝み、その教えを実行した。
    息子娘を火で焼いて偶像への捧げものとした。
    占いやまじないをした。
    貧しいものを虐げた。
  3. 預言の霊に満たされていない
    表面的な意味に捕らえるとごく普通のことであったり、意味が解らないように語られる。
    深く考え、神さまに頼らないと理解できないように。
  4. 成就するときには確かであると知る
    イザヤの預言が成就するとき、イザヤの言葉の意味を確かに知ることができる。
    イザヤの預言はアッスリヤが北イスラエル王国を滅ぼし、バビロンがユダ王国を滅ぼしたときに成就している。
    また、その前に起きたことも預言の通りであったことがわかる。

(1-7節)

参照聖句
預言
(アモス書3章)
6)町でラッパが鳴ったなら、民は驚かないだろうか。主がなされるのでなければ、町に災が起るだろうか。
7)まことに主なる神は/そのしもべである預言者にその隠れた事を/示さないでは、何事をもなされない。
8)ししがほえる、だれが恐れないでいられよう。主なる神が語られる、だれが預言しないでいられよう」

(ヨハネの黙示録19章)
10)イエスの証あかしは預言の霊である

(ペテロの第二の手紙1章)
20)聖書の預言はすべて,自分勝手に解釈すべきでない

(民数記11章)
29)主の民がみな預言者となることは願わしいことだ

ヤコブの子孫の悪習
(列王記下17章)
13)主はすべての預言者、すべての先見者によってイスラエルとユダを戒め、「翻って、あなたがたの悪い道を離れ、わたしがあなたがたの先祖たちに命じ、またわたしのしもべである預言者たちによってあなたがたに伝えたすべての律法のとおりに、わたしの戒めと定めとを守れ」と仰せられたが、
14)彼らは聞きいれず、彼らの先祖たちがその神、主を信じないで、強情であったように、彼らは強情であった。
15)そして彼らは主の定めを捨て、主が彼らの先祖たちと結ばれた契約を破り、また彼らに与えられた警告を軽んじ、かつむなしい偶像に従ってむなしくなり、また周囲の異邦人に従った。これは主が、彼らのようにおこなってはならないと彼らに命じられたものである。
16)彼らはその神、主のすべての戒めを捨て、自分のために二つの子牛の像を鋳て造り、またアシラ像を造り、天の万象を拝み、かつバアルに仕え、
17)またそのむすこ、娘を火に焼いてささげ物とし、占いおよびまじないをなし、主の目の前に悪をおこなうことに身をゆだねて、主を怒らせた。
18)それゆえ、主は大いにイスラエルを怒り、彼らをみ前から除かれたので、ユダの部族のほか残った者はなかった。
19)ところがユダもまたその神、主の戒めを守らず、イスラエルが定めたならわしに歩んだので、
20)主はイスラエルの子孫をことごとく捨て、彼らを苦しめ、彼らを略奪者の手にわたして、ついに彼らをみ前から打ちすてられた。

求めないとわからない
(マタイによる福音書13章)
10)それから、弟子たちがイエスに近寄ってきて言った、「なぜ、彼らにたとえでお話しになるのですか」。
11)そこでイエスは答えて言われた、「あなたがたには、天国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていない。
12)おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。
13)だから、彼らにはたとえで語るのである。それは彼らが、見ても見ず、聞いても聞かず、また悟らないからである。

(ニーファイ第一書15章)
11)主が言われたことを覚えていないのですか。主は、『もしあなたがたが心をかたくなにせず、わたしの戒めを熱心に守りながら、答えを与えられると信じて信仰をもってわたしに求めれば、これらのことは必ずあなたがたに明らかにされる』と言われました。

ニーファイはヤコブの子孫に語る

イザヤの言葉は人を教え導くために有益なものである。
ヤコブの子孫は、末の日に、イザヤの言葉を理解する。
それは、イザヤの言葉が成就するのを見るからである。

神さまは、預言者を通して、民に、これから起きることを告げ知らせ、悔い改めるように促してきた。
しかし、悔い改めず、罪悪を犯し続けた人々は滅びてしまった。

(8-10節)

参照聖句
預言者の言葉は人に有益である
(テモテへの第二の手紙3章)
15)また幼い時から、聖書に親しみ、それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵を、あなたに与えうる書物であることを知っている。
16)聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。

残りの者はエルサレムに戻ってくる

神さまの憐れみにより、バビロンに連れ去られた者が後にエルサレムに戻ってくる。
エルサレムに戻って、神殿を再建し、エルサレムを復興する。

しかし、その後、彼らは思い違いをするようになり、かたくなになって、
彼らの中にお生まれになった、神さまの独り子、救い主を拒み

自分たちの神さま、贖い主を十字架につける。

救い主は神さまの力により、死からよみがえり
ご自分を信じるものを神さまの王国に救われる。

ニーファイはほかの預言者と同じように救い主の生涯を
示現によって見ている。
(11-13節)

参照聖句
ヤコブの子孫は約束の地に戻ってくる
(エズラ記1章)
1)ペルシャ王クロスの元年に、主はさきにエレミヤの口によって伝えられた主の言葉を成就するため、ペルシャ王クロスの心を感動されたので、王は全国に布告を発し、また詔書をもって告げて言った、
2)「ペルシャ王クロスはこのように言う、天の神、主は地上の国々をことごとくわたしに下さって、主の宮をユダにあるエルサレムに建てることをわたしに命じられた。
3)あなたがたのうち、その民である者は皆その神の助けを得て、ユダにあるエルサレムに上って行き、イスラエルの神、主の宮を復興せよ。彼はエルサレムにいます神である。
4)すべて生き残って、どこに宿っている者でも、その所の人々は金、銀、貨財、家畜をもって助け、そのほかにまたエルサレムにある神の宮のために真心よりの供え物をささげよ」。

(エレミヤ書24章)
5)「イスラエルの神、主はこう仰せられる、この所からカルデヤびとの地に追いやったユダの捕われ人を、わたしはこの良いいちじくのように顧みて恵もう。
6)わたしは彼らに目をかけてこれを恵み、彼らをこの地に返し、彼らを建てて倒さず、植えて抜かない。
7)わたしは彼らにわたしが主であることを知る心を与えよう。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らは一心にわたしのもとに帰ってくる。

エルサレムは再び滅ぼされる

救い主が復活され、多くの人に現れた後も
エルサレムの指導者は悔い改めず
神さまの教えから離れて、神さまの教会の聖徒を苦しめたので
神さまの助けを受けることができず、
再びエルサレムは滅ぼされ、

エルサレムの住民、ユダヤ人はすべての国民の中に散らされ
もろもろの国民によって苦しみを受ける。

※神さまの業は偉大で、人には理解できないことも多い。
 救い主は、信じる人たちを救うために、ご自分を犠牲として捧げられた。
 指導者たち多くのユダヤ人がかたくなになり、ご自分を十字架にかけることをご存知でした。
(14-16節)

参照聖句
ユダヤ人は(再び)散らされる
(ルカによる福音書21章)
24)彼らはつるぎの刃に倒れ、また捕えられて諸国へ引きゆかれるであろう。そしてエルサレムは、異邦人の時期が満ちるまで、彼らに踏みにじられているであろう。

(ネヘミヤ記1章)
8)どうぞ、あなたのしもべモーセに命じられた言葉を、思い起してください。すなわちあなたは言われました、『もしあなたがたが罪を犯すならば、わたしはあなたがたを、もろもろの民の間に散らす。
9)しかし、あなたがたがわたしに立ち返り、わたしの戒めを守って、これを行うならば、たといあなたがたのうちの散らされた者が、天の果にいても、わたしはそこから彼らを集め、わたしの名を住まわせるために選んだ所に連れて来る』と。

(ニーファイ第二書10章)
6)それゆえ、彼らの罪悪のために、滅亡と飢饉、疫病、流血が彼らを襲う。また滅ぼされなかった者は、すべての国民の中に散らされる。

ヤコブの子孫は救い主を信じるようになる

代々、さまざまな国民によって苦しみを負った後
ヤコブの子孫はイエスを救い主と信じるようになる。

神さまは、ヤコブの子孫を迷い堕落した状態から
再び、ご自分を信じ頼り、
神さまの祝福を受けることができるように助けられる。

彼らは神さまの言葉によって裁きを受けることになる。
(16-18節)

救い主の来臨の預言

ニーファイは、救い主のこられる時と、その名前を預言している。
そしてそれは成就している。
(19節)

出エジプト、青銅の蛇、岩の水、救いに至る道

神さまは、モーセを召して、エジプトで奴隷になっていたイスラエルの民を先祖の地、約束の地に戻るように導いた。
※救い主は、世の罪から、ヤコブの子孫を救い出す。

民が神さまに反抗した際、神さまは蛇を送り、民をかませた。神さまは、民が癒されるために、モーセに青銅の蛇を掲げさせた。それを見るものは癒された。
※救い主を仰ぎ見るものは、世の罪から癒される。

民が乾いたとき、神さまは、モーセに命じて岩を打たせ、そこから水を湧き出された。
※救い主は、救いの岩であり、生ける水である。その水を飲むものは渇くことがない。

イエス・キリスト、救い主、贖い主、神さまの御子、子なる神、この方だけが人類を救うことがおできになる。
(20節)

参照聖句
出エジプト
(出エジプト記3章)
7)主はまた言われた、「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを、つぶさに見、また追い使う者のゆえに彼らの叫ぶのを聞いた。わたしは彼らの苦しみを知っている。
8)わたしは下って、彼らをエジプトびとの手から救い出し、これをかの地から導き上って、良い広い地、乳と蜜の流れる地、すなわち?ナンびと、ヘテびと、アモリびと、?リジびと、ヒビびと、エブスびとのおる所に至らせようとしている。
9)いまイスラエルの人々の叫びがわたしに届いた。わたしはまたエジプトびとが彼らをしえたげる、そのしえたげを見た。
10)さあ、わたしは、あなたをパロにつかわして、わたしの民、イスラエルの人々をエジプトから導き出させよう」。
モーセは蛇を掲げる
(民数記21章)
8)そこで主はモーセに言われた、「火のへびを造って、それをさおの上に掛けなさい。すべてのかまれた者が仰いで、それを見るならば生きるであろう」。
9)モーセは青銅で一つのへびを造り、それをさおの上に掛けて置いた。すべてへびにかまれた者はその青銅のへびを仰いで見て生きた。

(アルマ書33章)
19)見よ、モーセも神の御子について述べた。荒れ野で一つの予型が掲げられ、それを仰ぎ見ようとした者はだれでも、生き延びられるようにされた。そして、多くの人がそれを見て生き延びた。

(ヨハネによる福音書3章)
14)そして、ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない。

岩をうつと水がでた
(出エジプト記17章)
6)見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つであろう。あなたは岩を打ちなさい。水がそれから出て、民はそれを飲むことができる」。モーセはイスラエルの長老たちの目の前で、そのように行った。
生ける水
(ヨハネによる福音書4章)
14)しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう
救いを与える名前
(ホセア書13章)
4)わたしはエジプトの国を出てからこのかた、あなたの神、主である。あなたはわたしのほかに神を知らない。わたしのほかに救う者はない。

(使徒行伝4章)
10)あなたがたご一同も、またイスラエルの人々全体も、知っていてもらいたい。この人が元気になってみんなの前に立っているのは、ひとえに、あなたがたが十字架につけて殺したのを、神が死人の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのである。
11)このイエスこそは『あなたがた家造りらに捨てられたが、隅のかしら石となった石』なのである。
12)この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」

ヨセフの子孫は滅びない

ニーファイもエジプトのヨセフの子孫である。

ヨセフの子であるマナセとエフライムの北イスラエル王国は、アッスリヤに散らされてしまったが、彼らは滅びることなく、再び神さまのもとに戻ってくる。
預言者の言葉は書き記されて保存される。
預言の言葉を持っている国民は、その書き記されている言葉によって裁きを受ける。
(21-22節)

参照聖句
ヨセフの子孫は守られる
(アモス書5章)
15)悪を憎み、善を愛し、門で公義を立てよ。万軍の神、主は、あるいは/ヨセフの残りの者をあわれまれるであろう。

預言の言葉によって裁かれる
(ニーファイ第二書29章)
11)わたしは、東の地、西の地、北の地、南の地、また海の島々にいるすべての者に、わたしの語る言葉を書き記すように命じるからである。わたしは書き記される数々の書によって、世のあらゆる人を、書き記されていることに従い、彼らの行いに応じて裁く。

(ニーファイ第三書27章)
25)見よ、これまで書き記されてきた数々の書と、これから書き記される数々の書によって、この民は裁かれるであろう。これらの書によって彼らの行いが人々に知られるからである。
26)また見よ、すべてのことは父によって書き記されている。したがって、これから書き記される数々の書によって、世の人々は裁かれるであろう。

自分の行えることをすべて行ったのちに

自分の行えることをすべておこなったのちに、神さまの恵みによって救われる。

自分にできることは自分でする。

もちろん、人にできることには限界がある。
その先は神さまが恵みによって助けてくださる。

「人事を尽くして天命を待つ」ということである。

神さまの恵みを受けるためには、悔い改めて、神さまの戒め(契約)を守る必要がある。

しかし、神さまの戒め(契約)を守れば、自分の思い通りになるわけではない。
神さまの御心のままに、助けてくださる、ということである。

そしてそれによって、最高の結果を導いてくださるのである。
(23節)

参照聖句
恵みにより救われる
(使徒行伝15章)
11)確かに、主イエスのめぐみによって、われわれは救われるのだ

(ペテロ第一の手紙5章)
5)みな互に謙遜を身につけなさい。神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜うからである。

モーセの律法はキリストを待ち望むため

モーセの律法は外形的な儀式や守るべき規範。

キリストの犠牲のひな形であり、神さまと人を愛することを示していた。

やがておいでになる、救い主を思い起こし、待ち望むために与えられた。

※イスラエルの民は、外形的に儀式を守っていれば神さまは自分たちを守るはずと期待した。
 指導者の心が神さまから遠く離れてしまい、民を苦しめたため、神さまは罰をあたえられた。
 律法に従っていないことで祝福を失ったことを悟った民は律法を重要視した。(ネヘミヤ記、エズラ記を参照)
 やがて、律法を重要視しすぎて、その本質を見失っていった。
 救い主が実際においでになることには、様々な抜け道、言い訳、解釈を作り出して、まさに律法を形骸化させ、民を縛るための決まりにしていた。

(24-27節))

参照聖句
モーセの律法の目的
(モーサヤ書13章)
30)そこで,彼らに律法が,まことに,勤めと儀式の律法が与えられた。その律法は,神と,神に対たいする義務を思い起させるために,日々厳密に守らなければならないものであった。

(ガラテヤ人への手紙3章)
19)それでは、律法はなんであるか。それは違反を促すため、あとから加えられたのであって、約束されていた子孫が来るまで存続するだけのものであり、かつ、天使たちをとおし、仲介者の手によって制定されたものにすぎない。
24)このようにして律法は、信仰によって義とされるために、わたしたちをキリストに連れて行く養育掛となったのである。

律法の成就
(ローマ人への手紙7章)
4)わたしの兄弟たちよ。このように、あなたがたも、キリストのからだをとおして、律法に対して死んだのである。それは、あなたがたが他の人、すなわち、死人の中からよみがえられたかたのものとなり、こうして、わたしたちが神のために実を結ぶに至るためなのである。
6)しかし今は、わたしたちをつないでいたものに対して死んだので、わたしたちは律法から解放され、その結果、古い文字によってではなく、新しい霊によって仕えているのである。

正しい道

正しい道とは救い主キリストを信じること,神さまの御子キリストを否定しないことである。
キリストを拝するとは、神さまの戒めを守ることである。
神さまの戒めとは、神さまと隣人を愛することである。(参照:モーセの十戒)
(28-29節)

参照聖句
心を尽くし神を愛する
(申命記6章)
5)あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。

マルコによる福音書12章
29)イエスは答えられた、「第一のいましめはこれである、『イスラエルよ、聞け。主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。
30)心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
31)第二はこれである、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これより大事ないましめは、ほかにない」。

まとめ

イザヤもニーファイも、わたしのため、わたしの時代のために、記録を残してくださった。
イザヤの言葉を理解するよう努めよう

イエスさまがニーフアイ人を訪れた時には、
バビロン捕囚も帰還も、キリストの生誕も過去の事実

それでもイエス様はニーファイ人にイザヤの言葉を調べるように、と命じられた。
 
前もって伝えられていたことを知るため、以上のことがあるはずである。

ユダ(イスラエル)は、自分たちを守り導かれた神さまの戒めに背いたので
神さまの祝福を失い、世界中に散らされた

苦しみののちに悔い改め、キリストを信じ、みもとに来て、
異邦人とともに救いを得る

神さまは憐れみをもって、彼らを受け入れる

神さまの大きな愛。

福音(救いの計画)の中心は救い主と贖い

人はいろいろな経験から学ぶ
代償として間違いもする

正しい道を示し、道からそれそうなら警告し

それたら呵責を感じさせ、悔い改めに導いて

罪の代価を支払って、清めてくださる

慰めを与え、いつも見守って、支えてくださる

おまけ

20代のころに書いたメモ

イザヤの予言
->「予言」のみたまにより、明瞭となる。

ニーファイの予言は明瞭
イザヤの予言が現実となるときは今である。イザヤの予言は人のためになる。
ユダヤ人
 ->バビロン補囚
 ->復る
 ->イエスキリストを拒み十字架に付ける。
 ->復活
 ->信じる者に救いを与える。
 ->エルサレムは破壊される。
 ->万国の中に散る。バヒロンも滅びる。
 ->聖文により、御子を信じる。
 ->回復の業

出エジプト、モーセ、
 ->イエスキリストの予言。

人を救うのは、イエスキリストの御名をおいてよりない。

ニーファイの記録
 ->ヨセフの子孫は滅びない、という約束を果たすため代々伝わる。
 ->所有するものはこれにより、裁かれる。

書き記す理由。after all we can do

モーセの律法:キリストの降臨に人を備えさせる。
 ->キリストを拒まないように。
 ->キリストが来られて、その目的を達成するまでは、守る。
 ->モーセの律法が人を救うわけではない。
  ->キリストを待ち望むように人をそなえる。

予言者・律法:キリストの事を示す。

正しい道:キリストを信じること。
 勢いと心と力と全身全霊をこめて。

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ここまで読まれて、自分には関係のない話だ、何の役にたつんだ、と思われているかもしれませんね。

わたしも最初に聖書を読んだとき、とても信じられない、こんなことありっこない、と思っていました。
それでも、その後、何度か聖書に出会う機会があり、読む機会があり、自分に当てはめて考えるようになりました。
そのうちのいくつかをここに示しました。

あなたも、この物語から、自分に役立つなにかをみつけていただければ幸いです。

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
(ヨハネによる福音書5章39節)

聖書のこの書、この物語のどんな点でイエスキリストを見出しますか?
ここまで読んでくださったあなたへ
あなたは神様の子で、神様のみもとに永遠に住むことができる存在にです。
地上に来たのは、いろいろな経験により、あなたの能力が増し加わり、ほかの人を助けることができるようになるためです。

わたしもこれから成長していきたいので、あなたとともに歩んでいきたいと願っています。

神様はあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。

ご質問があれば、下のほうにコメント欄があるのでそちらに書き込んでください。

聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
あなたがこの世に来たのは、神様の戒めに従って生きるため。
神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えても、それに惑わされずに生きるために神様は道を示してくださいます、
そして、たとえ道を誤ったとしても、また戻ってくる方法があります。

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