モルモン書・アルマ書21章の要約と感想

モルモン書のアルマ書21章には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。

こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のアルマ書21章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。

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モルモン書・アルマ書21章の要約と感想

モルモン書のアルマ書21章は掲載すると長くなるので以下には掲示していません。
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モルモン書・アルマ書20章で、ミドーナイの地で牢に入れられていたアロン、ミュロカイ、アンマがアンモンたちに救い出された話が記載されているが、モルモン書・アルマ書21章では、彼らが牢に入れられるまでの話と牢から救い出された後の少しの話と、ラモーナイ王とアンモンがイシマエルの地の人々に神さまの教えを伝え、彼らが熱心に神さまの教えを守ったことが記されている。

レーマン人の地、エルサレムでの伝道

レーマン人、アマレカイ人、アミュロンの民は、自分たちが築いた大きな町にエルサレムと名付けていた。
アマレカイ人、アミュロン人は、非常にかたくなであったので、レーマン人の心をさらにかたくなにして、悪事と忌まわしい行いにふけるようにさせた。

アロンはその地のアマレカイ人が建てたニーホルの教団の会堂で教えを説き始めた。
その時に、ひとりのアマレカイ人がアロンと論じ始めた。

アマレカイ人

おまえが証したことは何のことか
おまえは天使にあったのか
なぜ天使は我々にも表れないのか
この民(レーマン人)はお前の民(ニーファイ人)よりも善くないというのか
どうしておまえに我々の心の思いと志がわかるのか
我々に悔い改めなければならない理由があるとどうしておまえにわかるのか
我々が義に適った民でないことがどうしておまえにわかるのか

我々は聖堂を建て、神を礼拝するために集まっている。
我々は神さまがすべての人を救われる(悔い改める必要はない)ことを信じている。

アロン

あなたは神さまの御子が人類を罪から贖うために来られるということを信じていますか。

アマレカイ人

我々はおまえにそのようなことがわかるとは信じない。
我々はそのような愚かな言い伝えは信じない。
おまえに将来のことがわかるとは信じない。
おまえと我々の先祖が、自分たちが語った将来のことについてわかっていたとは信じない。

アロン

キリストの来臨と死者の復活についての聖文を彼らに説明し、キリストの死と苦しみとキリストの血による贖罪によるほかに、人類のための贖いはあり得ないことを話し始めた。

アマレカイ人

アロンに怒りを示し、あざけり、アロンの話を聞こうともしなかった。

アロン

彼らが自分の言葉を聞こうともしないので、エルサレムの会堂を出た。

※アマレカイ人:いつニーファイ人から分かれたのかは記載がないが、多くがニーホルの教えを信じていることから、大さばきつかさの治世になった後で、ニーファイ人と別れたと思われる。非常にかたくなで神さまの真実の教えに耳を傾けない。
※アミュロンの民:ノアの祭司であったアミュロンと彼の仲間たちの子孫。おそらく、アマレカイ人の影響で、多くがニーホルの教えを信じている。そのために、非常にかたくなになっている。
※ニーホルの教えは、始祖のニーホル自身によって否定されているが、ニーホルの死後も多くの人に広まっている。
ニーホルの教え

モルモン書のアルマ書1章には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要がありま[…]

(1-11節)

アナイ・アンタイの村とミドーナイの地での伝道

アロンはエルサレムを出て、アナイ・アンタイの村に着いた。そこで、ミュロカイとアンマとその同僚に会った。彼らは神さまの御言葉について多くの人と論じ合った。
アナイ・アンタイの村の人々が心をかたくなにするのを見て、そこを去り、ミドーナイの地を訪れた。その地で多くの人に御言葉を述べ伝え、わずかな人が彼らの教えた御言葉を信じた。
ミドーナイの地で、アロンと同僚の数人は捕らえられて牢に入れられた。残りの同僚たちは周辺の地へ逃れていった。

牢に入れられ、多くの苦しみを受けた後、ラモーナイとアンモンによって救い出され、食べるものと着る物を与えられた。

アロンとミュロカイとアンマは牢から出て、救い主の御霊に導かれるところへ行き、入ることのできたアマレカイ人のすべての会堂やレーマン人のすべての集会で御言葉を述べ伝え、神さまの祝福を受けて、多くの人に罪があることと、レーマン人の先祖の言い伝えが正しくないことを納得させた。

※アロンとミュロカイとアンマは、アンモンよりもかたくなな民に神さまの言葉を伝えるために熱心に働いた。聞く耳を持たない反抗的な人々に迫害され、苦しんだが、耐え続け、そのあとで、耳を傾ける人に神さまの言葉を伝えることができるようになった。神さまが彼らに語った通りである。

(11-17節)

参照聖句
艱難の後に祝福が
(アルマ書17章11節)
11 主はまた彼らに,「あなたがたの同胞であるレーマン人の中へ行き,わたしの言葉を確立しなさい。しかし,あなたがたはわたしにあって彼らに良い模範を示せるように,長い苦しみと苦難の中で忍耐強くありなさい。そうすれば,わたしはあなたがたをわたしの手に使われる者として多くの人を救おう」と言われた。

その後のアンモンとラモーナイ王

アンモンとラモーナイ王は、ミドーナイの地を出て、イシマエルの地に戻った。
ラモーナイ王はイシマエルの地にいくつもの会堂を建てさせて、自分の民を集め、集まった人を見て喜び、多くのことを教えた。

イシマエルの地とその周辺の全地を治めるのはラモーナイ王であり、その地の民は、父王の圧政を受けない自由な民になったことを告げた。
ラモーナイ王の統治下では、主なる自分たちの神さまを礼拝する事由があることを告げ知らせた。

アンモンはラモーナイ王の民に、義にかかわることについてあらゆることを教え、日々、力の限り、彼らに説きすすめ、彼らはラモーナイの教えに心を留めて、熱心に神さまの戒めを守った。

※父王は圧政をしいていた。つまり、父王は各地の王に命じて、民を苦しめていたのである。この父王も神さまの教えにふれて大きく変化する。
※イシマエルの地のレーマン人は、義人となり、熱心に神さまの教えを守るようになった。

(18-23節)

まとめ

ラモーナイ王の民はアンモンに教えられたとおりに熱心に神の戒めを守るようになった。

神様の福音に触れ、悔い改めた人たちには、神様の御霊が豊かに注がれた。

一方で、神さまの教えに耳を傾けようとしないかたくなな民は、神さまの教えを聞く機会が取り去られた。

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この物語からあなたは何を学びますか

ここまで読まれて、自分には関係のない話だ、何の役にたつんだ、と思われているかもしれませんね。

わたしも最初に聖書を読んだとき、とても信じられない、こんなことありっこない、と思っていました。
それでも、その後、何度か聖書に出会う機会があり、読む機会があり、自分に当てはめて考えるようになりました。
そのうちのいくつかをここに示しました。

あなたも、この物語から、自分に役立つなにかをみつけていただければ幸いです。

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
(ヨハネによる福音書5章39節)

聖書のこの書、この物語のどんな点でイエスキリストを見出しますか?
ここまで読んでくださったあなたへ
あなたは神様の子で、神様のみもとに永遠に住むことができる存在にです。
地上に来たのは、いろいろな経験により、あなたの能力が増し加わり、ほかの人を助けることができるようになるためです。

わたしもこれから成長していきたいので、あなたとともに歩んでいきたいと願っています。

神様はあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。

ご質問があれば、下のほうにコメント欄があるのでそちらに書き込んでください。

聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
あなたがこの世に来たのは、神様の戒めに従って生きるため。
神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えても、それに惑わされずに生きるために神様は道を示してくださいます、
そして、たとえ道を誤ったとしても、また戻ってくる方法があります。

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