それは、救い主の贖いを受け入れ、憐れみ深い神さまのみもとに来て、神さまの善い言葉で養いを受け、いつも善を行い、最後まで耐え忍ぶなら、永遠の生命を受ける。
しかし、そうしなければ、火で焼かれ、大きな苦痛を受ける。というものである。
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モルモン書のヤコブ書6章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。
モルモン書・ヤコブ書6章の要約と感想
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ヤコブの預言
ヤコブがゼノスの預言を引用する前に、ユダヤ人が躓いたために拒んだ堅固な土台が、隅のかしら石になり、その上に建物が建てられることを説明すると言った。
ゼノスの預言を引用したあと、ヤコブは、このゼノスの預言が必ず起きること、神さまが聖約を交わした民をもとに戻す業を始められるときは最後の時で、そのあとすぐに終わりが来る、と預言し、以下を民に伝えた。
- 神さまの民を養い、集めるために熱心に働いた人たちが幸いを受けて、神さまの王国に救われること。
- 神さまに反抗し、罪悪を犯した人たちが火で焼かれること。
- 神さまが深い憐れみをもって、常に救いの手を伸ばしておられること。
- 心をかたくなにしない者たちは神さまの王国に救われること。
(1-4節)
- 奥義を解き明かす
- (ヤコブ書4章)
17)さて,わたしの愛する人々よ,これらの者がその堅固な土台を拒んだ後に,どうしてそれを隅のかしら石として,その上に建物を建てることができるであろうか。
18)見よ,わたしの愛する同胞よ,もしわたしが何かによって強い御霊を失ったり,あなたがたを心配するあまり口ごもったりするようなことがなければ,わたしはあなたがたにこの奥義を明らかにしよう。
ヤコブの勧め
- 神さまは、わたしたちを心にかけてくださる。
- 神さまの憐れみの御腕はわたしたちに伸べられている。
- 神さまは善い言葉で養ってくださる。
なので
- 悔い改めて、固い決意で神さまのもとにきて、神さまと堅く一致して離れない。
- 心を柔和謙遜に保つ。
- 救い主について語られた預言者の言葉を受け入れる。
- いつも善を行う。
- 救い主の善い言葉、神さまの力、聖霊の賜物を認め、聖なる御霊を受け入れる。
- 贖いの計画を賛美する。
そうすれば、永遠の命を得ることができる。
そうしないと
火で焼かれ、恥と強い罪悪感を持って、神さまの法廷に立つことになる。
- 神さまの憐れみ
- (アルマ書5章)
33)見よ,主はすべての人を招き,憐れみの御腕を伸べて,『悔い改めよ。そうすれば,わたしはあなたがたを受け入れよう』と言われる。
34)まことに,主は言われる。『わたしのもとに来なさい。あなたがたは命の木の実を食べるであろう。あなたがたは価なしに命のパンを食べ,命の水を飲むであろう。(ニーファイ第三書9章)
14)まことに,あなたがたに言う。あなたがたは,わたしのもとに来るならば永遠の命を得るであろう。見よ,わたしの憐れみの腕はあなたがたに向けて伸べられている。わたしは来る者をだれでも受け入れよう。わたしのもとに来る者は幸いである。
- 罪を離れるなら生きる
- (エゼキエル書18章)
21)しかし、悪人がもしその行ったもろもろの罪を離れ、わたしのすべての定めを守り、公道と正義とを行うならば、彼は必ず生きる。死ぬことはない。
22)その犯したもろもろのとがは、彼に対して覚えられない。彼はそのなした正しい事のために生きる。
23)主なる神は言われる、わたしは悪人の死を好むであろうか。むしろ彼がそのおこないを離れて生きることを好んでいるではないか。
- 死後の状態
- (アルマ書40章)
14)さて,これが悪人の霊の状態である。まことに,暗闇の中で,自分たちに下る火の憤りのような神の激しい怒りを,ひどく恐れながら待っている状態である。義人がパラダイスにとどまるように,彼らはこのように,自分たちの復活の時までこの状態にとどまるのである。
まとめ
神さまは、先祖から子孫まで覚えてくださる。
その中には自分も含まれている。
神さまはすべてをご存知で、
わたしにとって
もっともよいものを与えてくださる。
わたしももっともよいものをお返しするように
それはつまり
悔い改めて神さまに従い
自分の欲を捨てて
他の人を助けること。
神さまはわたしの先祖も子孫も覚えて憐れみの手を伸ばしてくださっている。
忘れないようにしよう。
おまけ
「オリーブ」の木のたとえの解きあかし。
主の樹木園で勤勉に働いた者は幸いである。
主はいつも手を延ばしておられる。
頑に拒む者は禍である。キリストを否定するものは罪と恥を受ける。
悔い改めて狭い門から入り、終わりまで耐え忍べ。