こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のアルマ書29章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。
モルモン書・アルマ書29章の要約と感想
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アルマの願いと制限
アルマ書29章
2)まことに,わたしは雷のような声で,あらゆる人に悔い改めと贖いの計画を告げ知らせ,もはや地の全面に悲しみのないように,悔い改めて神のみもとに来ることを彼らに勧めたい。
6)さて,わたしはこれらのことを知っていながら,どうして自分の召された務めを果たすこと以上に多くのことを望んでよいだろうか。
7)わたしはどうして,天使になって地の果てに至るすべての人に語ることができればと願ってよいだろうか。
9)わたしは主から命じられた事柄を知っており,それに誇りを感じている。わたしは自分自身のことを誇らないで,主から命じられた事柄を誇る。神の御手に使われる者となって幾人かでも悔い改めに導けること,これがわたしの誇りであり,喜びである。
※この前に(28章で)、悲しみと喜びの原因について記した後、モルモン自身の願いでもある、すべての人に悔い改めを伝えたい、というアルマの願いをここにいれたのだろう。
※アルマは、神さまに反抗し、神さまの教会を滅ぼそうと歩き回っていた時に、天使が現れ、雷のような声で、アルマに警告を与えたのである。
※アルマは、その警告の声に驚き、倒れ、死ぬほどの悔い改めをしたところ、救い主の憐れみを受け、神さまの光を見るようになったのである。
※アルマは、自分が救われたように、すべての人に悔い改めて救いの道を歩んでほしいと願っている。それはモーサヤ王の息子や仲間たちも同様である。
※アルマは、神さまから自分に託されたのは、神さまの預言者として、人々に悔い改めを伝えることであり、それ以上のことを望むことはできないと理解している。
※アルマは、自分に託された務めを果たすことに誇りと喜びを感じている。
(1-2節,6-7節、9節)
モーサヤ書27章
27)わたしは皆様に申し上げます。人は実際にこのような状態にならないかぎり,必ず捨てられます。わたしは一度捨てられそうになったので,このことが分かります。
28)にもかかわらず,多くの艱難を耐え抜いて,死ぬほどの悔い改めをしたところ,主はわたしを憐れんで,永遠に燃える火からわたしを救い出すことがふさわしいとされました。そして,わたしは今,神から生まれたのです。
29)わたしはすでに苦汁と罪悪のかせから贖われました。わたしはかつて,最も暗く深い淵の中にいましたが,今は神の驚くべき光を見ています。わたしはかつて永遠の苦痛に責めさいなまれましたが,今は救い出されており,もう心に苦痛を感じません。
モルモン書のモーサヤ書27章には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があ[…]
公正な神さまの堅い定め
アルマ書29章
4)わたしは,公正な神の堅い定めを,わたしの願いによって乱してはならないのである。人が死ぬことを望もうと生きることを望もうと,神が彼らの望むままにされることを知っているからである。まことに,人々が救いを望もうと滅びを望もうと,神は彼らの意のままに,不変の定めを彼らに布告されるということをわたしは知っている。
5)またわたしは,善と悪がすべての人の前にあることも知っている。善悪の分からない人は,罪のない状態にある。しかし,善悪の分かる人には,善を望もうと悪を望もうと,生を望もうと死を望もうと,喜びを望もうと良心のとがめを望もうと,自分の望むままに与えられるのである。
8)見よ,主はすべての国民に,その国民を使い,その国民の言葉を使って主の御言葉を教えることを許されるからである。まことに,主は賢明にも,御自分が彼らにとってふさわしいと思われるすべての事柄を教えることを許される。したがって,賢明にも主は正しく真実なことに応じて勧告されるということが,わたしたちには分かるのである。
(4-5節、8節)
同胞が悔い改めるときにアルマが思い出すこと
同胞が悔い改めるときにアルマは喜びを感じる。
アルマが思い出すのは
- 神さまが自分たちのためにしてくださったこと。=祈りを聞いてくださったこと。
- アルマに憐れみ深い御腕を伸ばしてくださったこと。
- 先祖(父アルマ)がノア王と祭司たちの誤った教えにとらわれていたこと。
- 先祖(父アルマ)がレーマン人の奴隷になっていたころ、そこから救い出されたこと、神さまの教会を設立したこと。
(10-12節)
モルモン書・モーサヤ書18章には、アビナダイの言葉に改心したアルマが、ノア王とノア王の祭司の手から逃れ、ひそかにノア王の民に福音を伝え、神さまと聖約を交わした証拠としてバプテスマを施し、教会を設立し、450人の人とともに荒野へと逃れたこ[…]
モルモン書のモーサヤ書24章には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があ[…]
アルマは先祖と同じ召しを受け働いている
神さまは、ニーファイ人に神さまの御言葉を伝えるためにアルマを召しておられる。
アルマは神さまの力によって大きな成功をなしとげたことや、モーサヤ王の息子とその仲間たちが成し遂げたことを喜んでいる。
アルマは、いまや救いを得ている人たちが神さまの道を離れることなく、神さまのみもとに帰ることができるように祈っている。
彼らの望みはより多くの人が神さまの教えを知ることと、道から離れないことである。
まとめ
神さまは人の選択を尊重される。
その人の選択は自分の責任である、と神さまは決めておられる。
同じことがあっても、誰かに命じられても、違う選択をすることもできる。
何かのせいにしたくなったら、自分にできることはなかったか、吟味する時間を取ろう。
まず悔い改めをしよう。