人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。
神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。
イスラエルの初代王「サウル」、2代目王となった「ダビデ」、ダビデの親友「ヨナタン」については別の記事で紹介します。
こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
旧約聖書のサムエル記上1章から8章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
聖書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。
そして、親としての務めを怠った祭司について記録されています。
また、イスラエルの民が、神様に導かれることよりも、(隣国と同様に)世の王に導かれることを求めたことが記されています。
サムエル記上(1章から8章)から学べる3つのことをご紹介します。
サムエル記上(1章から8章)から学べる3つのこと:苦難に耐え、神様に従う時に祝福を受ける
2.子どもを育てるのは神様から与えられた親の責任です
3.力の源が神様にあることを認め、神様に従う時に祝福を受けます
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
以下で引用符「」で示しているのは、上記で示した範囲以外の聖句などです。
他の聖典などでどのように解説されているかを示すために載せています。
ひとつひとつ簡単に解説します。
1.神様は「あなた」が、願っていることがすぐに与えられなくても待ち続ける、ように望んでおられます
サムエル記上は、エフライム族のエルカナの妻ハンナに子どもがなかった、という記述から始まります。
エルカナのもう一人の妻ペニンナには子どもがありましたが、ハンナのほうが愛されていたためか、ペニンナはハンナをねたみ、憎んで、ハンナに子どもがないことを悩ませて、神様に対して不平を言わせようとしていました。
神様は、目的があって、祝福(子ども)を授けるのを遅らせることもあり、与えられる祝福(生まれてくる子ども)には使命があります。
ハンナは神様に願って、子どもを授かるなら、その生涯を神様のために捧げる、と約束しました。
その結果、子どもを授かり、ハンナは約束通り、当時の祭司エリに預けました。
(サムエル記上1章参照)
神様は「あなた」が、願っていることがすぐに与えられなくても待ち続ける、ように望んでおられます。
これがサムエル記上から学べることのひとつです。
(おまけ)ペニンナも自分に与えらえた祝福に感謝し、ハンナに親切にすることもできました。
そのほうが彼女にとっても幸せだったと思います。
2.子どもを育てるのは神様から与えられた親の責任です
祭司エリの子どもは欲が深く、神の訓戒(戒め・命令)をないがしろにしていました。
それはイスラエルの民の「つまずき」となりました。
エリは、子どもの感情を恐れて、正しくない行為をやめさせることはしませんでした。
そのために、えりも子どもも罰をうけました。
(サムエル記上2章~3章参照)
サムエルの子どもも士師としての務めをまげていました。
(サムエル記上8章参照)
どんなひとにも子育てはむつかしいです。
親はこどもを育てる責任を神様から受けているので、放棄することはできません。
神様に頼って、全力でその責任を果たすことが求めらえています。
(おまけ)指導者のこどもが正しくないことをしていることを理由に、その指導者の訓戒をないがしろにする権利は人にはありません。
3.力の源が神様にあることを認め、神様に従う時に祝福を受けます
イスラエルの民は、自分勝手な方法で神様の力を利用しようとして、敗北し、罰を受けます。
(サムエル記上4章参照)
サムエルが民を導き、神様に仕えるように勧め、それに従ったとき、神の力を受けて敵に勝利しました。
(サムエル記上7章参照)
にもかかわらず、イスラエルの民は自分たちの力の源は神様(に従うこと)である、自分たちの王は神様である、ということを忘れ、他国と同じように人の王をもつことを望みました。
(サムエル記上8章参照)
サムエルは、王を持ったとしても、王と民が神様から離れることがあれば、滅ぼされると警告しました。
(サムエル記上11章参照)
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