人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。
こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
旧約聖書のサムエル記上9章~31章にサウル王の物語があります。
この物語は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
聖書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。
しかし、民は隣国と同様に自分たちを導く王が欲しいと願いました。
王は召された当初の謙遜さを徐々に失い、神様の力ではなく、自分の力を示したいと考えるようになりました。
サムエル記上9章~31章にはダビデとヨナタンの物語もあります。こちらもふくめてご紹介します。
サムエル記上にあるサウル王の物語から学べる4つのことをご紹介します。
サムエル記上にあるサウル王の物語から学べる4つのこと:召されたときの気持ちを保ち続けることの大切さ
2.従うことは犠牲にまさる
3.ダビデは神に従い、苦難に打ち勝つ力を得ました
4.ヨナタンの義とダビデへの友情
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
以下で引用符「」で示しているのは、上記で示した範囲以外の聖句などです。
他の聖典などでどのように解説されているかを示すために載せています。
ひとつひとつ簡単に解説します。
1.神様は「あなた」が、常にへりくだって、必要のない権力をふるうことの無いように望んでおられます
サウルは王に召されたときは、神様に頼る謙遜な人でした。
サウルは自分の弱さを認め、預言者サムエルがイスラエルの民に告げるときにはその身を隠すほどでした。
しかし、神様は神様がサウルを選んだことを示されました。
サウルは自分を軽んじる人々がいることを知っていたが、敵対したり、罰をあたえようとはしませんでした。
(サムエル記上9章~12章参照)
王に召されて2年がたち、サウル王は自分を王に召したのは、民意ではなく、神様であることを忘れたのかもしれません。
神様よりも、人からの誉れを求め、自分の王位を守るために、大勢のイスラエルの民を殺してしまう人になりました。
しかし、サムエルの到着が遅れて民が離れ始めると、(人が自分から離れるのを恐れ、神様の権能を軽んじ)サウルは自分で燔祭を捧げてしまいまいした。
(サムエル記上13章参照)
ペリシテ人との戦いに勝利するために、自分の思い付きで、兵士に断食をして戦うことを強制しました。
その結果、兵士は飢えて力を弱めてしまいました。
(サムエル記上 14章参照)
アマレク人との戦いで、持ち物もすべて滅ぼすように求めらていましたが、良いものをのこして自分たちのものとしました。
サムエルに問われて「民が勝手にやりました」という言い訳をしました。また、自分のために戦勝記念碑を建てました。
神様はサウルを捨てましたが、サウルは面目を守るために、民には隠しておきました。
(サムエル記上 15章参照)
神様はサウルの次の王としてダビデを召しました。
ダビデが戦闘で活躍して民がダビデを賞賛するのを聞き、サウル王はダビデをねたみ、ダビデを殺そうと追いまわります。
ダビデをかばう祭司や町を滅ぼして、罪なき者の血を流しました。
何度も自分の行為を思い返す機会が与えられましたが、ダビデに対して、自分の地位を脅かすもの、という思いを捨てることができず、自分の息子たちの命と自分の命を失うことになりました。
(サムエル記上 16章~31章)
神様は「あなた」が、常にへりくだって、必要のない権力をふるうことの無いように望んでおられます。
これがサムエル記上にあるサウル王の物語から学べることのひとつです。
2.従うことは犠牲にまさる
サウルが良いものを残したのは、犠牲に捧げるためです、という言い訳をしたときに、サムエルははっきりとサウルに告げます。
従うことは犠牲にまさる、と。
(サムエル記上13章参照)
神様が求めておられるのは、神様の訓戒(戒め・命令)に従うことであり、犠牲を捧げることは、神様を覚え、神に従うことを示すための手段です。
3.ダビデは神に従い、苦難に打ち勝つ力を得ました
ダビデは年若い時から神様の戒めを守り、神様に従うことを習慣にしていました。
猛獣から羊を守る際に、神様の守りを感じていました。
巨人ゴリアテがイスラエルの民に挑むのを聞いて、神様に敵するものと戦うことを恐れず、神様への信仰をもって立ち向かい、勝利を得ました。
(サムエル記上 17章参照)
サウル王から逃れるために苦難をあじわいましたが、ダビデは常に自分がすべきことを神様に尋ね、神様の命令に従い続けました。
サウル王の命を取る機会はありましたが、ダビデは神様によって召された王を守り続けました。
自分や兵士の家族が捕虜にされたときには、兵士の不満から危うくなりましたが、神様の指示に従い、敵を滅ぼし、兵士には働きで区別せず全員に分け前を与えました。
(サムエル記上 18章~30章参照)
ダビデは大きな戦果をあげながらも尊大になることもなく、苦難の中にあっても卑屈になることもなく、神様の命令を求め、常にそれに従っていました。
神様は、油を注いで王としたダビデを守られました。
4.ヨナタンの義とダビデへの友情
敵対するペリシテ人に少人数で向かっていく信仰と兵力、知力を持っていました。
王である父に対しても自分の意見をはっきりと伝える意思がありました。
父の過ちを知りながらも、息子として、父のために最後まで力を尽くしました。
(サムエル記上14章、31章参照)
ヨナタンはダビデを自分のことのように愛し、父の手からダビデを守りました。
(サムエル記上18章~20章参照)
ヨナタンはサウル王の代一子として、王位を世襲する権利がありましたが、ダビデが次の王になることを認めていました。
(サムエル記上23章参照)
ヨナタンの死後、ダビデはヨナタンの息子を探し出し、生涯にわたって庇護を与えました。
(サムエル記下9章参照)
人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。
(ヨハネによる福音書15章13節)
ヨナタンは、ダビデとは地位が異なることも妨げにせず、互いに別の場所での戦いに明け暮れながらも、互いを思いやり、助けようとする友情を育てました。
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