人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。
こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
旧約聖書のサムエル記下1章から24章にダビデ王の物語があります。
この物語は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
聖書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。
国家としての英雄となったのです。
しかし、個人としては、自分自身の欲に負け、家族の中の争い、臣下の争いを引き起こし、将来に影を残しました。
サムエル記下・ダビデ王の物語から学べる4つのことをご紹介します。
サムエル記下・ダビデ王の物語(サムエル記下1章から24章)から学べる4つのこと:君子危うきに近寄らず
2.神様や王位に対する敬意や忠誠心を持ちづづけるときに神様の助けを受けます
3.神様に頼り、正義と公平によって治めるときに神様の助けを受けます
4.神様が触れてはいけない、と禁じられたものには触れてはなりません
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
以下で引用符「」で示しているのは、上記で示した範囲以外の聖句などです。
他の聖典などでどのように解説されているかを示すために載せています。
ひとつひとつ簡単に解説します。
1.神様は、あなたが罪の兆しに注意して、誘惑から離れることを望んでおられます
ダビデ王は、民が戦っているときに、自分は戦場に行かず、エルサレムの自宅にいました。
そこで、王は屋上から、ある女性が体を洗っている様子を見てしまいました。
女性の美しさに見とれたダビデ王は、女性の身元をしらべ、自分のところに召して、姦淫を行いました。
その罪を隠そうとし、最後は、その女性の夫を計画的に殺してしまいました。
子どもたちにも、悪い手本を示すことになり、子どもたちの間に騒動が起き、自分は子から王位を奪われ、結果として二人の息子を失うことになりました。
そのために、部下も敵味方にわかれ、軋轢が生まれることになりました。
(サムエル記下11章~19章参照)
また、ダビデは晩年に、領土拡大を続けようと兵力を数えました。
それは神様の思いではなかったため罰がくだされました。
(サムエル記下24章参照)
・自分の力は正義を守るためにあります。
・罪の「誘惑」は常にあります。
・罪を犯したとしても、深みに入る前にすぐに引き返すことができます。
神様は「あなた」が罪の兆しに注意して、誘惑から離れることを望んでおられます。
これがサムエル記下・ダビデ王の物語から学べることのひとつです。
7)いつくしみを千代までも施し、悪と、とがと、罪とをゆるす者、しかし、罰すべき者をば決してゆるさず、父の罪を子に報い、子の子に報いて、三、四代におよぼす者」
(出エジプト記34章7節)
7)まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。
8)すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう。
(ガラテヤ人への手紙6章7節と8節)
14)いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。
15)犬ども、まじないをする者、姦淫を行う者、人殺し、偶像を拝む者、また、偽りを好みかつこれを行う者はみな、外に出されている。
(ヨハネの黙示録22章14節~15節)
2.神様や王位、民に対する敬意や忠誠心を持ちづづけるときに神様の助けを受けます
ダビデ王は、契約の箱がエルサレムに届いたときに、王の服装を脱ぎ、民と同じように踊りました。
神様の前で、王という地位をおいて、民と同じ立場に立って、神様に対する敬意と喜びを全身で示したのでした。
(サムエル記下6章参照)
ダビデは、自分の命を執拗に狙ったサウル王の死、自分に敵対することになったサウル王の子イシポセテの死を悼みました。
サウル王を殺した、と伝えたアマレク人、イシポセテを殺したイシポセテの略奪隊の隊長(バアナ、レカブ)を処罰(死刑)しました。
(サムエル記下1章、4章参照)
ダビデは自分の立場にかかわらず、王位に対する忠誠心を保ち続けました。
また、ヨナタンへの友情を忘れず、ヨナタンの子、メピポセテを自分の子どもと同じように扱いました。
(サムエル記下9章参照)
自分の罪のために民に罰が下されたとき、ダビデ王は悔いて民に対する罰を自分の家族に向けるように願いました。
(サムエル記下24章参照)
神様はダビデ王の行為をよしとされ、ダビデ王とその子孫を祝福しました。
3.神様に頼り、正義と公平によって治めるときに神様の助けを受けます
ダビデ王はイスラエルの12部族を統一したイスラエルの王として、アブラハムに約束された地をすべて支配し、正義と公平によって民を治めました。
(サムエル記下5章、8章参照)
ダビデ王は勇敢でしたが、常に神様に自分の行動を尋ねていました。
自分の勝利が神様からくることを知っていました。
一方で、ダビデ王は、幼いころから、琴を弾き、歌うことに才能がありました。
ダビデ王は多くの詩編を残しています。
サムエル記下22章にはダビデ王の「強さの秘訣」が謳(うた)われています。
4.神様が触れてはいけない、と禁じられたものには触れてはなりません
サムエル記下6章には、ウサという人が神の箱に手をのべて、神様に撃たれる、という事件が記載されています。
ウサは神の箱を運ぶという任務を受け、その箱に手を伸べてはならない、ということは重々承知していたと思います。
しかし、牛が躓(つまず)いたときに、手を伸べてしまいました。
たとえ善意からであったとしても、神の箱、神様のされることに、権限もなく手を出すことは禁じられています。
サムエル記上6章には、(おそらく好奇心から)箱の中を見た人が神様から撃たれたことが記されています。
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