聖書では一貫して「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。
人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。
また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。
こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
旧約聖書の出エジプト記16章から40章にモーセに率いられて荒野で神様から訓戒を受けるイスラエルの物語があります。
この物語は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
聖書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。
長い間エジプトで生活をしていたため、エジプト流の生活に慣れ親しみ
イスラエルの神に対する信仰も確固としておらず、
エジプトの悪影響も色濃く取り入れていました。
そのような中、モーセは熱心に彼らを導きました。
旧約聖書・出エジプト記・荒野での受けた訓戒の物語から学べる7つのことをご紹介します。
旧約聖書・出エジプト記・荒野での受けた訓戒の物語から学べる7つのこと(出エジプト記16章から40章)
2.神様は民を養われます
3.訓戒(律法・戒め・命令)は、神様を覚え、従うことによって幸福へと導かれることを示しています
4.モーセは命をかけて、民を導きました
5.神様に従わないと祝福を失います
6.(おまけ)正しくない親に従う必要あるか
7.イスラエルの民は喜んで神様に従い、祝福を得ました
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
以下で引用符「」で示しているのは、上記で示した範囲以外の聖句などです。
他の聖典などでどのように解説されているかを示すために載せています。
ひとつひとつ簡単に解説します。
1.神様は「あなた」が罪から離れ清くなることを望んでおられます
自分にできることは、罪に近づかず、二度と繰り返さないと決意することです。
しかし、人は弱いので、わかっていても神様の教えに従わないことがあります。
赦しを願うために、身代わりの犠牲を捧げるように求められました。
身代わりの犠牲とは将来イスラエルを含む神の子たちをを救うために自らを犠牲にされた神の御子を示しています。
身代わりの犠牲と正しい行いをしようとする決意によって、自らをきよめ、神様に近づくことができるのです。
これが出エジプト記の荒野での受けた訓戒の物語から学べることのひとつです。
2.神様は民を養われます
荒野にいる40年間、ずっと天からマナがおりてきて、イスラエルの民の食料になりました。乾けば水が与えられました。
神様は、イスラエルが飢えることも乾くこともないように備えておられました。
それは、イスラエルの民が天から降りてくるマナによって命を得ていることを示すものでした。
32)そこでイエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。天からのパンをあなたがたに与えたのは、モーセではない。天からのまことのパンをあなたがたに与えるのは、わたしの父なのである。
33)神のパンは、天から下ってきて、この世に命を与えるものである」。
35)イエスは彼らに言われた、「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。
(ヨハネによる福音書6章32節~35節)
3.訓戒(律法・戒め・命令)は、神様を覚え、従うことによって幸福へと導かれることを示しています
モーセに率いられたイスラエルの民は、十戒を含め、多くの訓戒を受けました。
イスラエルの民が生活の中で起きることについての具体的で身近な訓戒でした。それによって、イスラエルの民は生活する中でかならず思い出すことになります。
神様の訓戒は、アブラハム・イサク・ヤコブの神と契約したことを覚えておく、神様の訓戒に従うことを常に優先する、神様に敬意を払う、自分を律する、他人に対して哀れみを持つ、ということを教えていました。
律法は人をアブラハム・イサク・ヤコブの神のもとに来るように備えるために与えられたのです。
10)あなたがホレブにおいて、あなたの神、主の前に立った日に、主はわたしに言われた、『民をわたしのもとに集めよ。わたしは彼らにわたしの言葉を聞かせ、地上に生きながらえる間、彼らにわたしを恐れることを学ばせ、またその子供を教えることのできるようにさせよう』。
(申命記4章10節)
その訓戒(律法)は、のちに来る救い主を待つ備えとなるものでした。
24)このようにして律法は、信仰によって義とされるために、わたしたちをキリストに連れて行く養育掛となったのである。
(ガラテヤ人への手紙3章24節)
数々の戒めの本質は、アブラハム・イサク・ヤコブの神を第一優先にすること、自分を愛するように隣人を愛することでした。
36)「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。
37)イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
38)これがいちばん大切な、第一のいましめである。
39)第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
40)これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。
マタイによる福音書22章36節~40節
4.モーセは命をかけて、民を導きました
神様が民の不正に怒りを示されたとき、モーセは自分の命を差し出してゆるしを願いしました。
朝から晩まで休みなく、民のために働きました。
イスラエルの民は徒歩の男子(兵役につける男性)だけで60万人を超える人数でした。
5.神様に従わないと祝福を失います
荒野の40年の旅は、彼らをきよめる目的がありました。
40年の間に多くの祝福を受けていたにもかかわらず、エジプトから出てきたイスラエルの民は、心から神様を信じること、モーセに従うことができなかったので、約束の地に入ることができなくなりました。
※荒野で生まれた子どもたちが成長して、約束の地に入っていきました。
1)兄弟たちよ。このことを知らずにいてもらいたくない。わたしたちの先祖はみな雲の下におり、みな海を通り、
2)みな雲の中、海の中で、モーセにつくバプテスマを受けた。
3)また、みな同じ霊の食物を食べ、
4)みな同じ霊の飲み物を飲んだ。すなわち、彼らについてきた霊の岩から飲んだのであるが、この岩はキリストにほかならない。
5)しかし、彼らの中の大多数は、神のみこころにかなわなかったので、荒野で滅ぼされてしまった。
(コリント人への第一の手紙10章1節から5節)
6.(おまけ)正しくない親に従う必要あるか
10戒の中に「あなたの父と母とを敬え」とあり、これに関連して「正しくない親に従う必要あるか」との質問です。
これはよく尋ねられる質問です。パウロはこのように説明しています。
1)子たる者よ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことである。
2)「あなたの父と母とを敬え」。これが第一の戒めであって、次の約束がそれについている、
3)「そうすれば、あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう」。
(エペソ人への手紙6章1節~3節)
「両親に従う」という勧めには、「主にあって」という条件がついています。
一方、「父と母とを敬え」は無条件です。
つまり、父母の間違いには従うことは勧められてはいない、しかし、間違いをするとしても父母を敬え、そうすることで祝福を受ける、ということです。
7.イスラエルの民は喜んで神様に従い、祝福を得ました
出エジプト記16章から40章の間のトピックとして
イスラエルの民が、荒野にいる間に神様を礼拝するための幕屋を作る物語があります。
イスラエルの民は建てるための資材を買うこともできず、労働者を雇うこともできません。
しかし、イスラエルの民は、知恵を使い、喜んで、自分たちにできる最高の材料を余るほどに提供し、働きました。
彼らは形として、ではなく、純粋に心からの喜びをもって自発的に犠牲を捧げました。
民は祝福され、清められました。
幕屋(移動式の神殿)はそれ以降、民の中心に位置するものとなり、生活の中心に神様を据える、ことの象徴となりました。
出エジプト記からいくつかの聖句を抜粋
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- 民は幕屋を建てるために喜んで犠牲を捧げる
- (出エジプト記35章)
4)モーセはイスラエルの人々の全会衆に言った、「これは主が命じられたことである。
5)あなたがたの持ち物のうちから、主にささげる物を取りなさい。すべて、心から喜んでする者は、主にささげる物を持ってきなさい。10)すべてあなたがたのうち、心に知恵ある者はきて、主の命じられたものをみな造りなさい。
20)イスラエルの人々の全会衆はモーセの前を去り、
21)すべて心に感じた者、すべて心から喜んでする者は、会見の幕屋の作業と、そのもろもろの奉仕と、聖なる服とのために、主にささげる物を携えてきた。25)また、すべて心に知恵ある女たちは、その手をもって紡ぎ、その紡いだ青糸、紫糸、緋糸、亜麻糸を携えてきた。
26)すべて知恵があって、心に感じた女たちは、やぎの毛を紡いだ。29)このようにイスラエルの人々は自発のささげ物を主に携えてきた。すなわち主がモーセによって、なせと命じられたすべての工作のために、物を携えてこようと、心から喜んでする男女はみな、そのようにした。
35)主は彼らに知恵の心を満たして、諸種の工作をさせられた。すなわち彫刻、浮き織および青糸、紫糸、緋糸、亜麻糸の縫取り、また機織など諸種の工作をさせ、工夫を凝らして巧みなわざをさせられた。
- 民は余るほど差し出す
(出エジプト記36章)
5)モーセに言った「民があまりに多く携えて来るので、主がせよと命じられた組立ての工事には余ります」。
- 命じられたとおりに成し遂げ祝福を得る
(出エジプト記39章)
42)イスラエルの人々は、すべて主がモーセに命じられたように、そのすべての工事をした。
43)モーセがそのすべての工事を見ると、彼らは主が命じられたとおりに、それをなしとげていたので、モーセは彼らを祝福した。
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