旧約聖書・レビ記から学べる6つのこと:イスラエルの民が捧げた犠牲はイエスキリストの贖いの予型

旧約聖書のレビ記には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さ、イエスキリストが世の人を贖ってくださることが示されています。
また、エジプトの風習にどっぷりつかったイスラエルの民に正しい生活をするようにとの教えが記されています。

人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。
また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。
人が惑わされることが多いのは、先祖の言い伝えや世の風習を含め、神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えるからです。

こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。

旧約聖書のレビ記は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。

聖書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。

レビ記は、レビ、すなわち、イスラエルの祭司たちの務めとその意味、
神の聖さと民が聖くなるために守るべき戒め(訓戒)が記されています。
ー 広告 ー

レビ記から学べる6つのことをご紹介します。

レビ記から学べる6つのこと:イスラエルの民が捧げた犠牲はイエスキリストの贖いの予型

キリストの苦しみ

1.神様は「あなた」が周囲の悪い影響やこれまでの習慣から離れ、イエスキリストの贖いを受け入れ、正しく生きることを望んでおられます。
2.イスラエルの民が捧げた犠牲はイエスキリストの贖いの予型です
3.犠牲として流された血はこの世の命と、キリストの贖いの象徴です
4.神様に仕えるためには清くなる必要があります
5.神様に従うために、世の風習・習慣の悪いものから離れる必要があります
6.神様は、あなたが悔い改めて戻ってくることを望み、決してあなたを忘れたり、なおざりにされることはありません

旧約聖書のレビ記(1章から27章)は掲載すると長くなるので以下には掲示していません。
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
以下で引用符「」で示しているのは、上記で示した範囲以外の聖句などです。
他の聖典などでどのように解説されているかを示すために載せています。

ひとつひとつ簡単に解説します。

1.神様は「あなた」が周囲の悪い影響やこれまでの習慣から離れ、イエスキリストの贖いを受け入れ、正しく生きることを望んでおられます。

神様は「あなた」が周囲の悪い影響やこれまでの習慣から離れ、イエスキリストの贖いを受け入れ、正しく生きることを望んでおられます。
これがレビ記から学べることのひとつです。

エジプトにいた400年の間に、民は数が増えましたが、同時に、エジプト人の風習・宗教の影響を受けていました。
それは神様(アブラハム・イサク・ヤコブの神、イスラエルと契約した永遠の父なる神)から見て正しいことでないことも多くあったので、正しくないことを捨て、正しい信仰をもって生活するように、具体的な生活方法を教えられました。

象徴的な教えの中に本質が隠されていましたが、多くのイスラエルの民はその本質に気が付かず、神様の教えを理解しませんでした。
レビ記26章には、神様の定め(訓戒、戒め、命令)に従って生活していれば、どのような祝福を受けたか、従わないとどうなるか、が示されています。
旧約聖書はイスラエルの民の記録です。神様の約束がどのように現実のものになったかを学ぶことができます。

2.イスラエルの民が捧げた犠牲はイエスキリストの贖いの予型です

レビ記にはイスラエルの民に与えらえた犠牲の方法が記されています。

①イスラエルの民は各々が、②けがれのない清いものを、③自分の身代わりの犠牲として、④ほふり場に運びました。
⑤祭司は、⑥その犠牲を持参した人の代わりとして、⑦神様に捧げ、⑧捧げた人のためにとりなしをしました。

①イエスキリストは、②けがれのない清いご自身を、③イスラエルと全人類の身代わりの犠牲として、④ほふり場に運びました。
⑤イエスキリストは祭司として、⑥イスラエルと全人類の身代わりとなり、⑦ご自身を神様に捧げ、⑧イスラエルと全人類のためにとりなしをしました。

3.犠牲として流された血はこの世の命と、キリストの贖いの象徴です

血はこの世の命を示しています。血を流すことは命を失う=「死」を示します。
アダムが神様が禁じた実を食べた(罪を犯したた)ために、神様の前(エデンの園)から追い出され、死ぬものとなりました。
罪の結果が「死」、神様の前から絶たれることを示しています。

そして、キリストの贖いの血が流されることで、人は救いを得ることを示すことを表しています。

22)アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。
(コリント人への第一の手紙15章22節)

23)すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、
24)彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。
25)神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。
(ローマ人への手紙3章23節~25節)

19)すなわち、モーセが、律法に従ってすべての戒めを民全体に宣言したとき、水と赤色の羊毛とヒソプとの外に、子牛とやぎとの血を取って、契約書と民全体とにふりかけ、
20)そして、「これは、神があなたがたに対して立てられた契約の血である」と言った。
21)彼はまた、幕屋と儀式用の器具いっさいにも、同様に血をふりかけた。
22)こうして、ほとんどすべての物が、律法に従い、血によってきよめられたのである。血を流すことなしには、罪のゆるしはあり得ない。
(ヘブル人への手紙9章22節)

4.神様に仕えるためには清くなる必要があります

イスラエルの12支族の中から、レビ族(アロンもモーセもレビ族)が選ばれ、他の11支族のために、祭司の務めに専念することになります。
イスラエルの救いの儀式を行うために、指導的な立場にいるために、ほかの11支族の人よりも清い生活をすることが求められました。

犠牲が、頭と足と内臓と脂肪に分けてきよめられました。
頭は「考えていること・思い」、足は「歩くこと」「行動」、内臓は内側からわく「感情・精神」、脂肪(油)は「活力・勢力」
これらすべてをきよめるように求められています。

5.神様に従うために、世の風習・習慣の悪いものから離れる必要があります

エジプトにいた400年の間に、民は数が増えましたが、同時に、エジプト人の風習・宗教の影響を受けていました。
それは神様(アブラハム・イサク・ヤコブの神、イスラエルと契約した永遠の父なる神)から見て正しいことでないことも多くあったので、正しくないことを捨て、正しい信仰をもって生活するように、具体的な生活方法を教えられました。

食生活にかかわるところでもイスラエルの神を思い起こし、ほかの神々や偶像(人の考え・欲)を崇拝(優先)するのをやめるように求められました。特に、ほかの人への接し方、性的な清さについて厳格に定められました。

31)だから、飲むにも食べるにも、また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである。
(コリント人への第一の手紙10章31節)

17)そして、あなたのすることはすべて、言葉によるとわざによるとを問わず、いっさい主イエスの名によってなし、彼によって父なる神に感謝しなさい。
(コロサイ人への手紙3章17節)

6.神様は、あなたが悔い改めて戻ってくることを望み、決してあなたを忘れたり、なおざりにされることはありません

レビ記26章には、神様に従う場合と、従わない場合にどうなるかが記されています。従う場合の記載は3節~13節までです。しかし、従わない場合は、14節から45節に及びます。そこには、もし従わないならこうなる(14節~17節)。それでも従わないならさらにこうなる(18節から20節)。それでも従わないならさらにこうなる(21節から22節)。と続き、44節と45節では、それほどまでに罪を犯した人でも覚えておられて、救いを与えようとされることが記されています。

5)あなたを造られた者はあなたの夫であって、その名は万軍の主。あなたをあがなわれる者は、イスラエルの聖者であって、全地の神ととなえられる。
6)捨てられて心悲しむ妻、また若い時にとついで出された妻を招くように/主はあなたを招かれた」と/あなたの神は言われる。
(イザヤ書54章5節~6節)

ー 広告 ー

Google広告の内容を変更する手順(興味のない広告は表示させない)はこちら

レビ記からあなたは何を学びますか



当ブログ内の関連ページ
<聖典からの教訓>

「聖典からの教訓」のサブカテゴリ

この物語からあなたは何を学びますか

ここまで読まれて、自分には関係のない話だ、何の役にたつんだ、と思われているかもしれませんね。

わたしも最初に聖書を読んだとき、とても信じられない、こんなことありっこない、と思っていました。
それでも、その後、何度か聖書に出会う機会があり、読む機会があり、自分に当てはめて考えるようになりました。
そのうちのいくつかをここに示しました。

あなたも、この物語から、自分に役立つなにかをみつけていただければ幸いです。

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
(ヨハネによる福音書5章39節)

聖書のこの書、この物語のどんな点でイエスキリストを見出しますか?
ここまで読んでくださったあなたへ
あなたは神様の子で、神様のみもとに永遠に住むことができる存在にです。
地上に来たのは、いろいろな経験により、あなたの能力が増し加わり、ほかの人を助けることができるようになるためです。

わたしもこれから成長していきたいので、あなたとともに歩んでいきたいと願っています。

神様はあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。

ご質問があれば、下のほうにコメント欄があるのでそちらに書き込んでください。

聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
あなたがこの世に来たのは、神様の戒めに従って生きるため。
神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えても、それに惑わされずに生きるために神様は道を示してくださいます、
そして、たとえ道を誤ったとしても、また戻ってくる方法があります。

当ブログ内の関連ページ
<聖典からの教訓>

「聖典からの教訓」のサブカテゴリ

当記事を含む当ブログ内の記事はすべて、執筆者の個人的な見解です。いずれかの組織・団体を代表するものではありません。
ー 広告 ー

ー 広告 ー