また、神様が行え、と命じられれば行い、行うな、と禁じられた時には素直に従う、ことで祝福を得ることが記されています。
人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。
また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。
こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
旧約聖書の民数記は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
聖書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。
民が神様に逆らう(従わない)時に何がおきるかが記されています。
民数記から学べる5つのことをご紹介します。
民数記から学べる5つのこと:神様への感謝と敬意もって清い選択をすると祝福を得る
イスラエルの民はエジプトを出るとき、そのあと荒野にいるとき、神様の守り(奇跡)を間近かで見ました。
イスラエルの民が神様のことをいつも覚えていることができるように、儀式を与えました。
しかし、エジプトを出た時に成人であったイスラエルの民は、不平を言い、高ぶり、神様の力をあなどり、戒めをないがしろにしたために、約束の地に入ることができなくなり、40年荒野をさまよってそこで死を迎えることになりました。
そこから私たちは、イスラエルの民のようにならないようにして、祝福を得る方法を学ぶことができます。
2.人を恐れず、神様を信頼して行動する人は祝福されます
3.過剰な欲心は罪です
4.へりくだって神様を敬い、神様に召された人を通して語られる言葉に耳を傾けることが求められています
5.私たちは、罪から離れ、清くなることが求められています
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
以下で引用符「」で示しているのは、上記で示した範囲以外の聖句などです。
他の聖典などでどのように解説されているかを示すために載せています。
ひとつひとつ簡単に解説します。
1.神様は「あなた」が神様の命令に従って生きることを望んでおられます
神様は「あなた」が神様の命令に従って生きることを望んでおられます。
これが民数記から学べることのひとつです。
民数記では、イスラエルの民が何度も神様に反抗し、罰を受ける様子が記されています。
エジプトから出た後、不平を言い続け、欲心を起こし、神様が選んだ指導者に逆らい、行けと言われたときに行かず、行くなと言われたときに行き、清い生活を拒み、
そのたびに、神様は民が悔い改めるよう罰を与えました。
それは、正しい道に戻るように勧める神様の愛です。
一方で、神様の戒めに忠実に従い、命じられたことを行うように努めたカレブやヨシュア、エレアザルや、神に逆らわなかった子どもたちは約束の地に入りました。
あなたが神様から祝福を得たいと望むのであれば、神様の命令に従って生きることを選んでください。
それはあなたに生を与えた神様の望みです。
2.人を恐れず、神様を信頼して行動する人は祝福されます
各部族から選ばれた12人が、40日にわたり、約束の地(カナン)を調査し、その地が豊かであることを知って戻ってきました。
しかし、10人はその地には力強い民がいるので戦いに敗れ、自分たちは滅びてしまうに違いない、と報告し、イスラエルの民の気持ちをくじきました。
ユダ族のカレブとエフライム族のヨシュア(ホセア)の二人だけは、神様が助けてくださるので、大丈夫だと説得します。
民は、自分たちをエジプトから連れ出したとして、モーセとアロンにつぶやき、エジプトに帰ることを望み、カレブとヨシュアを殺そうとしました。
神様の救いの手が伸べられてきたことを、何度も、身近で見てきたにもかからわらず、民はイスラエルの神様に対して、不信仰でかたくなな態度を持っていました。
その結果、エジプトから出てきたときに成人であった人たちは、カレブとヨシュアを除いて、約束の地に入ることはない、と神様は言われました。
そのことを聞いたイスラエルの民は、逆らった罪を償おうとして、カナンの地に向けて戦いに出ようとします。
モーセはすでに神様はその祝福を取り上げてしまわれたので、攻めていかないように伝えます。しかし民は聞かず、戦いに出ていき、敗れてしまいます。
(民数記13章~14章 参照)
その後、40年間、荒野で生活することになり、約束の地に入るときには、カレブとヨシュアを除いて、エジプトから出てきたときに成人であった人たちはいませんでした。
(民数記26章 参照)
3.過剰な欲心は罪です
イスラエルの民は、マナで養われていたにもかかわらず、エジプトで食べていた肉やそのほかの食べ物のことを思い出して欲しがり、不平を言い出しました。
不平は正しくないですが、肉が食べたい、という気持ちは認められ、神様は「うずら」をお与えになりました。
しかし、民は食べきれない量(少ないものも10ホメル=2300リットル)をあつめ、その強欲を満たそうとしました。そこで神様は疫病で民を打たれました。
(民数記11章 参照)
4.へりくだって神様を敬い、神様に召された人を通して語られる言葉に耳を傾けることが求められています
へりくだるとは、自分の力を過小評価することではありません。
より高い力を持つ神様がおられて、万事を見ていてくださっていると認めることです。
神様の力によって、自分たちは命じられたこと行う力を持ち、弱点を克服することができる、と認めることです。
自分たちを癒し、贖ってくださる方に頼っている、ということを認めることです。
もし、神様や神様によって召された人をないがしろにし、その言葉を無下にするなら、神様からの祝福を遠ざけることになります。
民数記の物語をいくつか紹介します
モーセの姉ミリアム、兄アロンはともに、イスラエルの民の指導者でした。
しかし、彼らは弟モーセが自分たちよりも高い召しを受けていることに「ねたみ」をもち、自分たちにその権利を与えるように要求しました。
(民数記12章 参照)
レビ族(モーセやアロンもレビ族)のコラが、イスラエルの250人を集めて、モーセが度を越えて民を支配しているとして非難し、自分たちの権利はモーセよりも上にあると主張しました。
コラたちは自分たち受けているものに満足しないで、神様が召した人をないがしろにしていました。
(民数記16章 参照)
イスラエルの民がたびたび、モーセやアロンにつぶやき、反抗するので、神様は、イスラエルの民を導くのは誰なのか、その方が誰を選ばれた(召された)のかを示されました。
(民数記17章 参照)
イスラエルの神は、つぶやきをやめない民が蛇に噛まれ、青銅の蛇を見上げれば癒される、という奇跡を示されました。
(民数記21章 参照)
5.私たちは、罪から離れ、清くなることが求められています
罪から離れるようにとの訓戒(命令・戒め)は、イスラエルの民に何度も繰り返してお命じになることです。(罪:神様に意図的に逆らうこと)
特に道徳(性的)的な清さを求められています。
モアブの国王バラクが、占い師バラムに、イスラエルを呪うように頼む物語があります。
(民数記22章~24章 参照)
バラムには、富が欲しいという下心がありました。
神様はそれを見抜いておられ、神様が与える言葉のみを語るように、バラムに命じます。
バラムは、託宣としてはイスラエルを祝福する言葉だけを述べますが、そのあと、バラムにイスラエルの強さの秘密(弱点にもつながる)を伝えたようです。
それによって、モアブの娘たちがイスラエルの男性を誘惑し、偶像を拝ませ、性的な罪へと導きます。
神様はイスラエルを罰しました。(民数記25章、31章 参照)
14)しかし、あなたに対して責むべきことが、少しばかりある。あなたがたの中には、現にバラムの教を奉じている者がある。バラムは、バラクに教え込み、イスラエルの子らの前に、つまずきになるものを置かせて、偶像にささげたものを食べさせ、また不品行をさせたのである。
(ヨハネの黙示録 2章14節)
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