聖典・預言書が伝えようとしていることを自分なりに探ってみる

I try to find out for myself what the holy scriptures and prophets are telling me.
以前、聖典の読み方として、自分に当てはめてみるということを紹介しました。

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聖書の各書では、救い主を信じて従い、最後まで耐え忍ぶものは救われる。終わりの日に救い主が再び地上に来られて統治される。その前に地は火で焼かれる。ということが記載されています。

今回は、もう少し踏み込んで、以下の仮説と方法に基づいて、聖典と預言者が今のわたしたちに何を伝えようとしているかを探ろうとしています。

仮説1)

神さまが、わたしたちの時代に起きることを、あらかじめ(おわりのことをはじめから)伝えておくように古代の預言者に命じられた。

仮説2)

歴史は繰り返すので、預言者の時代に起きていることとほぼ同じことがわたしたちの時代にも起きる、つまり、世の終わりには、世の初めからあったことが繰り返し行われる。

仮説3)

仮説1 と 仮説2 が正しければ、預言者は、預言者が生きた時代やその前後に起きた身近な出来事を使って、わたしたちの時代に起きることを説明することができる。

仮説5)

わたしたちの時代にまで預言が残るよう、意図を書き換えられることのないように、わたしたちの時代のことだとわからないような書き方をしている。

方法1)

上記の仮説に基づき、聖典を読むときは、書かれている具体的な出来事そのもの、預言の言葉そのもの、から、抽象的なバターン、象徴が隠されていないかを考え、わたしたちの時代に当てはめる。

上記の活動によって見出したものが正解かどうかはわたしにはわからない。不正解かもしれないし、あと一歩かもしれない。神さまがわたしに知ってほしいと思われたことがあるなら、わたしが求めつづけ、努力を続ければ、きっと読み解く力を与えてくださるに違いないと確信している。


当記事を含む当ブログ内の記事はすべて、執筆者の個人的な見解です。いずれかの組織・団体を代表するものではありません。
作者は末日聖徒イエス・キリスト教会の会員である故、ほかの教会の教義や考え方とは異なる点もあるかもしれません。また、正しく理解していないことがあるかもしれません。ご容赦いただきますようにお願いします。

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参考として象徴についていくつかの聖句を抜粋

参考:末日聖徒イエス・キリスト教会の「聖句ガイド」の「象徴」の項目

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典礼や儀式
(モーセ6章)
63節)見よ,すべてのものにはそれに似たものがある。すべてのものは,現世にかかわるものも霊にかかわるものも,わたしのことを証するために創造され,造られている。すなわち,上の天にあるもの,地の上にあるもの,地の中にあるもの,地の下にあるもの,上のものも下のものも,すべてのものがわたしのことを証するのである。』
犠牲
(ヘブル人への手紙9章)
11節)しかしキリストがすでに現れた祝福の大祭司としてこられたとき、手で造られず、この世界に属さない、さらに大きく、完全な幕屋をとおり、
12節)かつ、やぎと子牛との血によらず、ご自身の血によって、一度だけ聖所にはいられ、それによって永遠のあがないを全うされたのである。
13節)もし、やぎや雄牛の血や雌牛の灰が、汚れた人たちの上にまきかけられて、肉体をきよめ聖別するとすれば、
14節)永遠の聖霊によって、ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、なおさら、わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者としないであろうか。
15節)それだから、キリストは新しい契約の仲保者なのである。それは、彼が初めの契約のもとで犯した罪過をあがなうために死なれた結果、召された者たちが、約束された永遠の国を受け継ぐためにほかならない。(モーセ5章)
7節)すると,天使は語って言った。『これは,御父の,恵みと真理に満ちている独り子の犠牲のひながたである。
8節)したがって,あなたが行うすべてのことを御子の御名によって行いなさい。また,悔い改めて,いつまでも御子の御名によって神に呼び求めなさい。』
聖餐
(JSマルコによる福音書14章)
20節)一同が食事をしているとき,イエスはパンを取り,それを祝福して裂き,弟子たちに与えて言われた。「それを取って食べなさい。
21節)見よ,これが,わたしの体の記念としてあなたがたに行ってもらいたいことである。これを行う度に,あなたがたは,わたしがあなたがたとともにいたこの時を思い起こすであろう。」
22節)また,イエスが杯を取り,感謝して彼らに与えられると,一同はその杯から飲んだ。
23節)イエスはまた言われた。「これは,多くの人のために流されるわたしの血と,わたしがあなたがたに与える新しい聖約を記念するものである。わたしについて,あなたがたは全世界に証しなければならない。
24節)そして,この儀式を行う度に,あなたがたは,わたしが自分の務めの最後の時にあなたがたとともにおり,あなたがたとともにこの杯から飲んだ,この時を思い起こすであろう。(ルカによる福音書22章)
13節)弟子たちは出て行ってみると、イエスが言われたとおりであったので、過越の食事の用意をした。
14節)時間になったので、イエスは食卓につかれ、使徒たちも共に席についた。
15節)イエスは彼らに言われた、「わたしは苦しみを受ける前に、あなたがたとこの過越の食事をしようと、切に望んでいた。
16節)あなたがたに言って置くが、神の国で過越が成就する時までは、わたしは二度と、この過越の食事をすることはない」。
17節)そして杯を取り、感謝して言われた、「これを取って、互に分けて飲め。
18節)あなたがたに言っておくが、今からのち神の国が来るまでは、わたしはぶどうの実から造ったものを、いっさい飲まない」。
19節)またパンを取り、感謝してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「これは、あなたがたのために与えるわたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」。
20節)食事ののち、杯も同じ様にして言われた、「この杯は、あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約である。
バプテスマ
(ローマ6章)
1節)では、わたしたちは、なんと言おうか。恵みが増し加わるために、罪にとどまるべきであろうか。
2節)断じてそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なお、その中に生きておれるだろうか。
3節)それとも、あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。
4節)すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。
5節)もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。
6節)わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。(教義と聖約128章)
12節)ここに,すなわち水によるバプテスマの儀式,すなわち死者の有様に応じるために水に沈められることに,栄光と誉れ,および不死不滅と永遠の命があります。死者の有様にそって水中に沈められるのは,一つの原則が他の原則に一致するためです。水中に沈められ,そして水から出て来ることは,墓から出て来る死者の復活に似ています。したがって,この儀式は,死者の有様に似ているので,死者のためのバプテスマの儀式と関連するように制定されたのです。
13節)その結果,バプテスマフォントは墓に似たものとして設けられ,生者がいつも集まる場所の下にあるようにと命じられました。それによって,生者と死者を表すため,またすべてのことに類似するものがあるようにするため,またそれらが互いに一致するため,すなわちコリント人への第一の手紙第十五章四十六,四十七,四十八節でパウロが述べているように,地に属するものが天に属するものに一致するためなのです。
幕屋で行われた典礼やモーセの律法は,永遠の真理を象徴している
(アルマ25章から抜粋)
15節)彼らは,モーセの律法はキリストの来臨の予型であると考え,キリストが自分たちに御姿を現されるときまでは,それらの外形上の勤めを守らなければならないと信じていた参考:ヘブ8-10章;モサ13:29-32;アル25:15;ヒラ8:14-15
そのほかの例
(マタイによる福音書5章より抜粋)
13節)あなたがたは、地の塩である。
14節)あなたがたは、世の光である。(ヨハネによる福音書3章)
14節)そして、ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない。
15節)それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである」。(モルモン書 ヤコブ書4章より抜粋)
5節)モーセの律法は,わたしたちの心をキリストへ向けるものである
5節)アブラハムがイサクをささげようとしたことは,神と神の独り子の相似であった(アルマ書37章)
44節)見よ,キリストの御言葉は,永遠の喜びに至るまっすぐな道を指し示すものであるが,その御言葉を心に留めることが容易であるのは,約束の地に至るまっすぐな道を示すこの羅針盤に注意を払うのが,先祖にとって容易であったのと同じである。

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神さまと人との契約

天上の会議

天上の会議で三分の一の霊は神さまに反抗したため、投げ落とされました。(ヨハネの黙示録12:3)

おわりのときにも、神さまに反抗して、みもとから追い出される人(霊)が大勢いる。

参考:天上の会議
https://www.churchofjesuschrist.org/study/manual/gospel-topics/council-in-heaven?lang=jpn

簡単な解説(文責は運営者)
神さまは英知から人(霊)を組織されました。もともとの英知にはそれぞれ個性がありました。英知から作られた人(霊)にも個性が引き継がれました。人(霊)は神さまの助けにより成長して、より成長する(肉体を得て、神さまのようになる)機会を求めるようになりました。
神さまはその機会を与えるために、人(霊)をあつめ、神さまのようになる道について話し合われました。神さまは、人(霊)が成長するためには、自分で判断し、何をするか、何を選ぶか、自分で選択し、自分で責任をとることが重要であると判断されていました。
自分で判断するためには、肉体を持つ前のことをいったん忘れる必要がありました。いうなれば、だれも見ていないときの行動が自分の本来のすがたであるようなものです。
しかし、自分で判断するようになると、人(霊)は間違い(罪)をするとわかっていました。間違い(罪=穢れ)があると、神さま(聖さ)とともにいることはできなくなり、成長することができなくなります。ふたつの案が提示されましたひとつは、救い主が、人(霊)の罪のために身代わりの犠牲となり、救い主に従う人の罪を贖う、というものでした
もうひとつは、罪を犯すことの無いようにすべてすることを明確にし、それだけをするように強制する、そのため、ひとりも落ちるものはない、というものでした。
神さまは一つ目の案を採用されました。
もう一つの案を提示したものたちは「ことさらに」神さまに反抗して、神さまの栄光と人の自由意思を奪おうとしたのです。

アダム・エノク・ノア・アブラハム・イサク・ヤコブ・ヤコブの子たちとの契約

古代の族長制度において、神さまは族長と個人的に永遠の契約を結ばれました。
契約を結ぶにあたっては、その前に、十分な試しが与えられ、それを乗り越え、ふさわしさを証明することが求められていました。

おわりのときにも、永遠の契約を神様と結ぶため、ひとりひとりが個人的に試しを乗り越えて、ふさわしさを証明する必要がある。

アブラハムは息子イサクを犠牲として捧げることを求められました。
息子イサクは父アブラハムのすることに従いました。
神さまとアブラハムとの間で交わされた聖約により、その子孫が祝福をうけることになりました。

わたしたちも神さまから求められる犠牲を進んで捧げるとき、自分だけではなく、子孫にも影響する祝福を受ける

出〇〇

  • アダムとエバはエデンの園を追われた。
  • ノアは箱舟にのって別の地に流された。
  • アブラハムは先祖の地を離れて約束の地へ導かれた。
  • ヤコブ(イスラエル)は兄との確執から逃れるために伯父さんの所へ行った。
  • ヨセフは兄たちに売られてエジプトに行った
  • イスラエルは約束の地を離れて子どもたちとエジプトに行った
  • モーセは民を率いてエジプトを出た
  • 北王国はアッスリアに滅ぼされ、民は行方知れずになった
  • 南王国はバビロニアに滅ぼされ、民はバビロンに捕囚された
  • ペルシャ王クロスの詔書によって、元南王国の民のいくらかはエルサレムに戻った
  • イエスを十字架にかけた後、しばらくして、エルサレムはローマによって滅ぼされた

散らされては戻ってきた。そしてまた戻ってくる。

モーセは、イスラエルを奴隷の状況から救い出し、約束の地へ導いた

神さまはモーセを選び、イスラエルの民の導き手とされました。
イスラエルの民はかたくなで反抗的であったが、モーセは民の赦しを願い、民のためにとりなしをしました。

モーセは神さまに対しては民の代表者であり、民に対しては神さまの代弁者、仲保者となりました。

いつの時代にも、おわりのときにも、同じような霊的な指導者が現れ、民を導くようになる。最小単位は家族における家長。おおきな単位では教会などの組織における長。

民はことあるごとにモーセに不平を言い続け、モーセは神さまに祈り、民の必要を満たしました。
しかし、民は数多くの軌跡を見ながらも、神さまの力を信じ、頼ることができず、40年間荒野を旅する間に生涯を終えることになりました。

わたしたちも、神さまに養われ、神さまの奇跡を数多く見ながら、神さまの力を信じ、頼ることができず、この世をさまよった後、神さまの約束された地に入ることができずに終わるかもしれない。

荒野での試みはわたしたちの人生での試みと同じかもしれない

申命記8章2節
あなたの神、主がこの四十年の間、荒野であなたを導かれたそのすべての道を覚えなければならない。それはあなたを苦しめて、あなたを試み、あなたの心のうちを知り、あなたがその命令を守るか、どうかを知るためであった。
アブラハム3章25節
そして,わたしたちはこれによって彼らを試し,何であろうと,主なる彼らの神が命じられるすべてのことを彼らがなすかどうかを見よう。

過越

過越は遠い昔に一度だけあったわけではない。同じことが再び起きる。

教義と聖約89章21節
また,主なるわたしは彼らに一つの約束を与える。すなわち,滅ぼす天使はイスラエルの子らを過ぎ越したように彼らを過ぎ越して,彼らを殺すことはない。

モーセの律法では、神さまの戒めを破ると、自分の命で償うことになった

レビ族の男子は幕屋を携え、契約の箱を担ぎ、イスラエルのために、犠牲を捧げる責任を担った

ヨシュアはイスラエルの民を約束の地へ定住させ、周囲の国々との戦いで勝利を得た

エフライム部族のヌンの子ホセアはモーセによってヨシュアと呼ばれる

士師は堕落しつつあるイスラエルの民を・・・

デボラとバラク
ギデオン

サムソン

祭司はレビ族アロンの子孫から、ヨシュアと預言者サムエルはエフライム族、サウル王はベニヤミン族、ダビデ王はユダ族


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<聖典からの教訓>

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この物語からあなたは何を学びますか

ここまで読まれて、自分には関係のない話だ、何の役にたつんだ、と思われているかもしれませんね。

わたしも最初に聖書を読んだとき、とても信じられない、こんなことありっこない、と思っていました。
それでも、その後、何度か聖書に出会う機会があり、読む機会があり、自分に当てはめて考えるようになりました。
そのうちのいくつかをここに示しました。

あなたも、この物語から、自分に役立つなにかをみつけていただければ幸いです。

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
(ヨハネによる福音書5章39節)

聖書のこの書、この物語のどんな点でイエスキリストを見出しますか?
ここまで読んでくださったあなたへ
あなたは神様の子で、神様のみもとに永遠に住むことができる存在にです。
地上に来たのは、いろいろな経験により、あなたの能力が増し加わり、ほかの人を助けることができるようになるためです。

わたしもこれから成長していきたいので、あなたとともに歩んでいきたいと願っています。

神様はあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。

ご質問があれば、下のほうにコメント欄があるのでそちらに書き込んでください。

聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
あなたがこの世に来たのは、神様の戒めに従って生きるため。
神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えても、それに惑わされずに生きるために神様は道を示してくださいます、
そして、たとえ道を誤ったとしても、また戻ってくる方法があります。

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