キリストは私たちの成長のために命を捨てられた。勇気をもって挑戦しよう

失敗や誹謗中傷を恐れて行動できずにいる人は
あなたの恐怖を乗り越えるために、命を犠牲にされた方が見守っておられることを知って
成長のためにチャレンジを続け、経験で得た学びで他の人を助けてほしい。
それが人生の目的だから。
さく

失敗してもいいから、行動する。行動して学ぶ。行動すると成長する。強くなれる。
その力でほかの人を助けることができる。

それはわかっている。でも失敗は怖い。

 

りっきー

おおさむはチャレンジできない、石橋をたたいても渡れないでいつまでもたたいている性格で、人見知りは強いし、物おじするし、失敗怖がるし。自己批判ばかりするし、受け身だし。野心ないし。
人の後ろをついて歩き、与えられた枠の中で作業をするだけで満足してたし、勉強はするけどそれを生かす努力はしなかったし、何も優れた価値を提供しないくせに人からは賞賛をもとめるようなタイプだったし
「井の中の蛙」で大海があることを知っているくせに井の中から出ようとしない人だった。

 

痛いとこつくね。そうだよ。でも、若いころに大切なことを知ったんだ。

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神様の計画に人が失敗することは織り込まれている!

神様は人を作られ、この地上に送られた。それは人を成長させるため。
この地上で経験することでしか、人は成長できない。
自分で選択し、経験から学び、経験から勇気を得て、ほかの人を助ける力を授かる。
他の人を助けるためには、その前に弱い自分が強さを得て変わっていく経験が必要。
強制ではなく、自分でよいことを選択するようにされた。
一方で、人は不完全であるために、成長するための経験を恐れ、成長から離れていくことも、神様はご存知だった。

つまり、神様は

人が死ぬことはわかっておられた。人が恐れ、目的を忘れ、成長から離れていくこともご存知だった。
失敗・人からの非難・罵倒を恐れ、チャレンジができなくなるのであれば人生の目的を果たせないこともご存知だった。

失敗しても助けてくださる方(イエス・キリスト)がおられる!

主はよみがえりぬ
主は死を克服し、よみがえられた
それで、神は愛するひとり子を人のために与えてくださった。ひとり子は人を死と罪から救うために自分の命を犠牲とされた。

(新約聖書:ヨハネによる福音書 3章16節)
「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」

行動すると失敗する。穴に落ちる。壁にぶつかる。でも助けてくださる方がおられることを知れば、、、
それでも、苦労するかもしれない、悲嘆にくれるかもしれない、それは同じかもしれない、
それでも、希望を持ちづつけることができる。

なぜ、ひとり子、イエス・キリストは私たちが弱いことをご存知なのか?

その方は
ご自身が病弱であったから、病弱な方の悩み苦しみがわかる。
ご自身が嫌われたことがあるので、意味なく嫌われる方の・・
ご自身が身目美しくないので、・・・
ご自身が同年代の友が全くいないので、・・・
ご自身が人から嫌われ裏切られ蔑まれ裸にされ罪人にされたので・・・
しかし、ひとことも不平もなく、ただ、人を救いたいとの望み、限りない愛と哀れみで、すべての苦痛に耐えられた。
ただただ、私たちの成長のため。
(旧約聖書イザヤ書53章)
1 だれがわれわれの聞いたことを/信じ得たか。主の腕は、だれにあらわれたか。
2 彼は主の前に若木のように、かわいた土から出る根のように育った。彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。
3 彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
4 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
5 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。
6 われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。
7 彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。
8 彼は暴虐なさばきによって取り去られた。その代の人のうち、だれが思ったであろうか、彼はわが民のとがのために打たれて、生けるものの地から断たれたのだと。
9 彼は暴虐を行わず、その口には偽りがなかったけれども、その墓は悪しき者と共に設けられ、その塚は悪をなす者と共にあった。
10 しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。
11 彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。
12 それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に/物を分かち取らせる。彼は強い者と共に獲物を分かち取る。これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、とがある者と共に数えられたからである。しかも彼は多くの人の罪を負い、とがある者のためにとりなしをした。

(操作方法)右上の「+」をクリックすると聖句が広がって出てきます。
そのあと、右上の「-」をクリックすると閉じます。

羊飼い
羊飼いはすべての羊を愛す

 

(参考)
ひとり子(地上に生誕されたとき、イエスと名付けられた)は、地上でその務めを果たされ、神様(天父)のもとに戻られ、今も私たちを助けてくださる。
このかたは旧約聖書では「エホバ」「主」「神」として記されている。

イエス・キリストはどのように私たちの弱さを強さに変えてくださるのか

わたしたちが寝ている間に自動的に強くなるわけではない。
それは神様の計画に反する。
私たちが信じて努力を続けるときに、清められ、神様の恵みを受けて強くなる
条件は神様の前にへりくだること、頼ること、力が神様からくることを認めることつまり、信じて岩を押し続けること、だ。たとえ岩が動かなくても自分の力は大きくなる。
おおさむもただ願うだけしかできないときもあった。
でも、行けるところまで自分の足で行ったら、その先に道が続いていた。
開くことはないと思っていた門が開いた。だから、これからもきっと助けてくださる。

主はご自身の民に憐れむように命じられた。その方が私たちを憐れまないはずはない。

(旧約聖書ゼカリヤ 7章9節~10節)
9 「万軍の主はこう仰せられる、真実のさばきを行い、互に相いつくしみ、相あわれみ、
10 やもめ、みなしご、寄留の他国人および貧しい人を、しえたげてはならない。互に人を害することを、心に図ってはならない」。

よきサマリヤ人になるように言われた主が傷ついた私たちを癒さずに見過ごしにされるはずはない。
(参照:新約聖書ルカ10章 よきサマリヤ人のたとえ)

よきサマリヤ人
よきサマリヤ人は傷ついたユダヤ人を助けた
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神様の計画には成長するための失敗は織り込み済み。人を救いだすためにキリストが世に来られ苦しみを負われた。
キリストの言葉、キリストのことを証しする言葉、聖典を学んで、勇気をもって一歩を踏み出してほしい。
さく
自分を信じて、勇気をもって行動することが大事
りっきー
無謀なチャレンジをしろ、というわけではないよ

おまけ

「神はこの世の生涯を,常に努力しなければならないように造られました。……〔わたしたちは〕絶え間なく働くことで不自由のない生活をすることができ〔ます〕。……労働により人格が築かれ,磨かれ,美が創造されます。労働は同胞や神に奉仕する手段です。奉献された生活は労働にあふれ,繰り返しも多く,……感謝されることもないかもしれませんが,そのような労働には常に,成長,……高めること,志を抱くことが伴います。」
「奉献された生活についての熟考」『リアホナ』2010年11月号,17
「わたしたちの責任は,平凡な人間から秀でた人間になることであり,失敗を土台にして成功に到達し, 最上の自分になることです。神の最大の賜物の一つは,もう一度やってみることの喜びです。失敗をしたらそれでもう終わりということではないのです。」
「秘められた思い」『聖徒の道』1987年7月号,74
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その他の用語説明

  • 霊:永遠の存在
  • 肉体:この地上で経験するために与えられた一時的なもの
  • 肉体の死:肉体と霊がわかれること
  • 霊の死:霊が神から離れること
  • 不死不滅:霊が完全な肉体に結びついて二度とわかれないこと
  • 永遠の生命:神とともに生きること


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この物語からあなたは何を学びますか

ここまで読まれて、自分には関係のない話だ、何の役にたつんだ、と思われているかもしれませんね。

わたしも最初に聖書を読んだとき、とても信じられない、こんなことありっこない、と思っていました。
それでも、その後、何度か聖書に出会う機会があり、読む機会があり、自分に当てはめて考えるようになりました。
そのうちのいくつかをここに示しました。

あなたも、この物語から、自分に役立つなにかをみつけていただければ幸いです。

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
(ヨハネによる福音書5章39節)

聖書のこの書、この物語のどんな点でイエスキリストを見出しますか?
ここまで読んでくださったあなたへ
あなたは神様の子で、神様のみもとに永遠に住むことができる存在にです。
地上に来たのは、いろいろな経験により、あなたの能力が増し加わり、ほかの人を助けることができるようになるためです。

わたしもこれから成長していきたいので、あなたとともに歩んでいきたいと願っています。

神様はあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。

ご質問があれば、下のほうにコメント欄があるのでそちらに書き込んでください。

聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
あなたがこの世に来たのは、神様の戒めに従って生きるため。
神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えても、それに惑わされずに生きるために神様は道を示してくださいます、
そして、たとえ道を誤ったとしても、また戻ってくる方法があります。

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