モルモン書・アルマ書34章の要約と感想

モルモン書のアルマ書34章には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。

こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のアルマ書34章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。


モルモン書・アルマ書34章の要約と感想

モルモン書のアルマ書34章は掲載すると長くなるので以下には掲示していません。
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モルモン書・アルマ書34章には、アルマの同僚アミュレクがゾーラム人の貧しい人たちに語った言葉が記されている。
救い主が世に来られて贖いの犠牲になられること証する。
贖いは無限にして永遠の犠牲でなければならない。
贖いは救い主を信じて、悔い改める人のためにある。
神さまに祈ること。
今が救いの時であること。

アミュレクがアルマの話をおさらいする

アミュレクはアルマがゾーラム人の貧しい人たちに語った話のおさらい(要約)をする。
アミュレクも、将来キリストが、ご自分の民の背きをご自身に負うために人の子らの中に来られ、世の罪を贖うことを証する。

※救い主の福音を教えられたあとに離れてしまった人たち。

救い主が種まきのたとえで話されたように、
信仰の種をもらっても、育てることに注意しなかったために
敵がきて種を奪ったり、世のわずらいに負けてしまったり、
さまざまな理由で、神さまの道から簡単に離れてしまう。

(1-8節)

マタイによる福音書13章
3)イエスはたとえで多くの事を語り、こう言われた、「見よ、種まきが種をまきに出て行った。
4)まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。
5)ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、
6)日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
7)ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。
8)ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。

モーセ書6章
62)さて見よ,わたしはあなたに言う。これが,時の中間に来るわたしの独り子の血によってすべての人に与えられる救いの計画である。

贖いの計画

モルモン書のアルマ書12章には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があり[…]

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贖罪についてのアミュレクの証

すべての人はかたくなになっており、堕落し、迷った状態にあるので、
永遠の神さまの計画によって、贖罪は行われなければならない。
そうでなければ全人類は滅びる。

贖罪は、人や獣や鳥の犠牲ではなく、無限にして永遠の犠牲でなければならない。
理由

  • 自分の血でほかの人の罪を贖うことができる人はいない。
  • 法律は人を殺した当人の命を要求する。
  • モーセの律法は、贖いの犠牲を指し示している。
  • 贖いの犠牲になるのは、神さまの御子である。
※キリストの贖いの必要性はアダムの堕落にある。

アダムの堕落から救うために、命を犠牲にされた時、
キリストを信じ従う者の罪も併せて贖ってくださった。

これはまるで、イスラエルの子孫を集合させるために、
全世界の異邦人を集めてくださっているのと同じ。

わたしたちは、ほかの人の働きによって救いに預かることができる。

モルモン書の随所に救い主の贖いについて記載がある。

その時代の人たちが義に立ち返るように、
のちの時代の人たちが贖いについて知るように、

昔の人も知っていたことを教えるために

真摯にこの書物を読むなら、神さまと御子の愛と犠牲に思いを馳せて

感謝の念を持つにちがいない。

(9-14節)

モーセ書5章
5)主は彼らに,主なる彼らの神を礼拝し,主へのささげ物として群れの初子をささげるようにと戒めを与えた。アダムは主の戒めに従順であった。
6)多くの日の後,主の天使がアダムに現れて言った。『あなたはなぜ主に犠牲をささげるのか。』そこで,アダムは彼に答えた。『わたしには分かりません。ただ,主がわたしに命じられたのです。』
7)すると,天使は語って言った。『これは,御父の,恵みと真理に満ちている独り子の犠牲のひながたである。

ニーファイ第二書9章
7)したがって,贖罪は無限の贖罪でなければならない。もしそれが無限の贖罪でなければ,この朽ちるものが朽ちないものを着ることはできない。したがって,人に下った最初の裁きが限りなく続かなければならない。もしそうならば,この肉体は横たえられ,朽ち果てて母なる大地に返り,もう二度と起き上がることがないに違いない。

申命記24章
16)父は子のゆえに殺さるべきではない。子は父のゆえに殺さるべきではない。おのおの自分の罪のゆえに殺さるべきである。

第三ニーファイ15章
5)見よ,その律法を与えたのはこのわたしであり,わたしの民イスラエルと聖約した者はわたしである。律法はわたしによって成就している。わたしは律法を成就するために来たからである。したがって,律法は終わった。

教義と聖約138章
35)そしてこのように,神の御子の十字架上での犠牲によって贖いが行われたことが,死者の間に,すなわち,小さな者にも大いなる者にも,不義な者にも忠実な者にも知らされたのである。

贖いは悔い改める人のためにある

贖いの犠牲の目的は、憐れみの心を成し遂げること。

この憐れみは正義の要求を満たし、人々が悔い改めを生じる信仰を持てるようにする道を設ける
悔い改める人は、神さまの憐れみを受ける。

悔い改めない人、悔い改めを生じる信仰を少しも持てない人は、自分で正義の要求にこたえる必要がある。

神さまの憐れみを求めてください。
神さまは人を救う力を備えておられる。

(15-18節)

アルマ書12章
32)そこで神は,贖いの計画を人々に示された後,悪を行ってはならないという戒めを彼らに与えられた。悪を行うことに対する罰は第二の死,すなわち義にかかわることについての永遠の死であった。このような者には,贖いの計画は何の力も及ぼさない。神の至善によれば,正義の働きが損なわれてはならないからである。

神さまに祈り続けなさい

牧場にいるときは、すべての家畜の群れが増えるように。
家にいるときは、家のすべての者について、朝昼晩、敵の力を防ぐことができるように。そして、あらゆる義の敵である悪魔を防ぐことができるように。
畑にいるときは、作物について、畑の収穫が豊かであるように。

自分の部屋でも、人目に触れない場所でも、荒野でも、自分の心を注ぎだす。
声に出さないときでも、自分と周の人々の幸いを気遣う気持ちを心に満たし、それが絶えず主への祈りとなるように。

そして、愛を示すことが悔い改めの実である。
愛を示すことがなければ、祈りはむなしく、なんの役にも立たない。
※神さまに願う、祈り求める。

神さまはひとを救いに導く。

人の祈りが御心にかなう時、その力を示される。

人は神さまに願い求めることで、自分に必要なものを見極め。

何事も神さまに頼っていることを思い出し、

神さまが自分に必要なものを用意してくださっていることを知り、

御心に従う力を得る。

(19-30節)

第三ニーファイ18章
15)まことに,まことに,わたしはあなたがたに言う。あなたがたは悪魔に誘惑されないように,また悪魔に捕らえられないように,常に目を覚ましていて祈らなくてはならない。

アルマ書34章
28)これらのことをすべて行っても,もし乏しい人や着る物のない人を追い払ったり,病気の人や苦しんでいる人を見舞わなかったり,自分には持ち物がありながら,それを必要としている人々に分け与えなかったりするならば,あなたがたに言うが,もしあなたがたがこれらのことのどれも行うことがなければ,見よ,あなたがたの祈りはむなしく,何の役にも立たない。あなたがたは信仰を否定する偽善者と同じである。

モーサヤ書4章
26)さて,あなたがたに語ってきたこれらのことのために,すなわち,神の御前を罪なく歩めるよう,日々罪の赦しを続けて受けるために,自分の持っている分に応じて,それぞれ持ち物を貧しい人に分け与えるようにしてほしい。例えば,飢えている人に食べさせ,着る物のない人に着せ,病人を見舞い,各々の入り用に応じて霊的にも物質的にも助けを与えることである。

モーサヤ書18章
27)アルマはまた,教会の人々が各々自分の持っている分に応じて持ち物を分け与えるように,つまり,ほかの人よりも豊かに持っていれば,ほかの人よりも多く分け与えるべきであり,少ししか持っていない人には少ししか求めず,持っていない人には分け与えるべきであると指示した。

モロナイ書7章
6)見よ,神は,『悪い者は善いことを行えない』と言われた。人はささげ物をしても,神に祈っても,真心からしなければ,その人にとって何の役にも立たない。

今が救いの時である

今が救いの時であり、救いの日である。今、悔い改めて心をかたくなにしなければ、贖いを受けることができる。

現世は人が神さまにお会いする用意をする時期であり、現世の生涯は人が各自の務めを果たすときである。

悔い改めずに、現世の生涯を終えると、暗闇の夜がやってきて、自分では何の働きもできなくなる。
その時に、悔い改めて神さまに立ち返ろう、と言うことはできない。
死ぬまで悔い改めをしなければ、悪魔の霊の支配を受けるようになっているので、御霊はあなたのうちに宿ることはなく、悪魔があなたを支配する。
これが悪人の最後の状態である。

救い主は聖くない宮に住まず、義人の心に住む。義人は救い主の王国に住まう。義人の衣は救い主の血によって白くされる。

(31-36節)

ニーファイ第二書2章
21)また,人の子らの命は,肉にある間に悔い改めることができるように,神の御心によって引き延ばされた。したがって,彼らの状態は試しの状態となり,彼らの寿命は主なる神が人の子らに与えられた命令で長くされた。主なる神が,すべての人は悔い改めなければならないと命じられたからである。主なる神はすべての人に,先祖の背きのために彼らが道に迷った状態にあることを示されたのである。

アルマ書12章
24)そして,わたしたちの知っているように,現在,死が人類に及んでいる。まことに,アミュレクが語った死,つまり肉体の死が及んでいる。にもかかわらず,人が悔い改めることができるように,猶予期間が与えられた。したがって,この世の生涯は試しの状態,すなわち神にお会いする用意をする時期,わたしたちが前に語った死者の復活後に訪れるあの無窮の状態に対して用意をする時期となった。

アルマ書42章
4)このことから分かるように,人が悔い改めることを許された期間があった。まことに,それは試しの時期であり,悔い改めて神に仕える時期である。
5)見よ,もしアダムがすぐに手を伸ばして命の木から取って食べていたら,彼は悔い改めの期間がまったくないまま,神の御言葉のとおりにとこしえに生き長らえたであろう。そして,神の御言葉はむなしくなり,偉大な救いの計画は挫折していたことであろう。
6)しかし見よ,人は死ぬものと定められた。そこで人は,命の木から絶たれたときに,地の面から絶たれることとなった。そして人は,とこしえに迷った状態になり,まことに,堕落した者となったのである。

アブラハム書3章
24)そして,彼らの中に神のような者が一人立ち,ともにいた者たちに言った。「あそこに空間があるので,わたしたちは降って行こう。そして,これらの材料を取って,これらの者が住む地を造ろう。
25)そして,わたしたちはこれによって彼らを試し,何であろうと,主なる彼らの神が命じられるすべてのことを彼らがなすかどうかを見よう。
26)第一の位を守る者は付け加えられるであろう。また,第一の位を守らない者は,第一の位を守る者と同じ王国で栄光を受けることはない。さらに,第二の位を守る者は,とこしえに栄光をその頭に付け加えられるであろう。」

教義と聖約98章
11)また,わたしはあなたがたに戒めを与える。あなたがたはすべての悪を捨て,すべての善を固く守らなければならない。また,神の口から出る一つ一つの言葉によって生きなければならない。
12)神は忠実な者に対して,教えに教え,訓戒に訓戒を与えるからである。そして,わたしはこれによってあなたがたを試み,あなたがたを試そう。

教義と聖約124章
55)さらにまた,まことに,わたしはあなたがたに言う。わたしは再びあなたがたに命じる。わたしの名のためにまことにこの場所に一つの家を建てて,わたしから命じられるすべてのことに忠実であることを身をもって示し,また,わたしがあなたがたを祝福し,あなたがたに誉れと不死不滅と永遠の命を冠として与えることができるようにしなさい。

アミュレクの願いと勧め

アミュレクは話の最後に、ゾーラム人の貧しい人たちに自分の願いと勧めを語った。

アミュレクの願い
  • アルマとアミュレクが語った言葉を思い出す。
  • 神さまを畏れて自分の救いを達成する。
  • キリストの来臨を信じる。
  • 聖霊を受け入れる。
  • キリストの御名を受ける。
  • どこにいても、へりくだって、霊と真とをもって、神さまを礼拝する。
  • 神さまが授けてくださる憐れみと祝福を日々感謝しながら生活する。
アミュレクの勧め
  • 悪魔の誘惑に惑わされないように、悪魔に打ち負かされないように、終わりの日に悪魔の手下にならないように、絶えず祈りに心を配る。
  • 自分たちを追い出した人たちを罵ることのないように。
  • あらゆる苦難を離れて休めるという確固とした望みを持ち、忍耐して、あらゆる苦難に耐える。

(37-41節)

教義と聖約59章
7)あなたはすべてのことについて,主なるあなたの神に感謝しなければならない。

アルマ書30章
60)このことから,主の道を曲げる者の末路が分かる。また,悪魔は終わりの日には自分の子らを助けようとせず,速やかに地獄に引きずり込むということも,わたしたちに分かるのである。

教義と聖約31章
9)苦難の中で忍耐強くあり,ののしる者にののしり返してはならない。柔和に家を治め,また確固としていなさい。

モルモン書・アルマ書34章からあなたは何を学びますか



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この物語からあなたは何を学びますか

ここまで読まれて、自分には関係のない話だ、何の役にたつんだ、と思われているかもしれませんね。

わたしも最初に聖書を読んだとき、とても信じられない、こんなことありっこない、と思っていました。
それでも、その後、何度か聖書に出会う機会があり、読む機会があり、自分に当てはめて考えるようになりました。
そのうちのいくつかをここに示しました。

あなたも、この物語から、自分に役立つなにかをみつけていただければ幸いです。

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
(ヨハネによる福音書5章39節)

聖書のこの書、この物語のどんな点でイエスキリストを見出しますか?
ここまで読んでくださったあなたへ
あなたは神様の子で、神様のみもとに永遠に住むことができる存在にです。
地上に来たのは、いろいろな経験により、あなたの能力が増し加わり、ほかの人を助けることができるようになるためです。

わたしもこれから成長していきたいので、あなたとともに歩んでいきたいと願っています。

神様はあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。

ご質問があれば、下のほうにコメント欄があるのでそちらに書き込んでください。

聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
あなたがこの世に来たのは、神様の戒めに従って生きるため。
神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えても、それに惑わされずに生きるために神様は道を示してくださいます、
そして、たとえ道を誤ったとしても、また戻ってくる方法があります。

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