こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
新約聖書のヨハネの黙示録に使徒ヨハネがイエスキリストさまから受けた黙示が記録されています。
この物語は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
聖書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。
- イエスキリストは、私たちの救い主、羊飼い、であり、どんなことがあっても、私たちを完全な愛のうちに導いておられること
- 罪の贖いはイエスキリストの完全な犠牲のもと、個人の信仰と悔い改めを条件にしていること
- 神様の戒め(訓戒)に従う時に救いを得ること、
- 戒めに従うとは形式を守ることではなく、心を神様に近づけること
です。
人が存在するのは、(神様の戒めに従うことで)幸福になるためです。
神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
ヨハネの黙示録の聖句はここをクリック
以下でも、適宜、参考聖句を引用します。
【第20章】サタンは千年間縛られ、その後少しの間解放される。死者の復活と裁き
サタンは千年間縛られる
ひとりの御使が、底知れぬところの鍵と大きな鎖をてに持って、天から降りてきて、悪魔を捕らえて底知れぬところへ投げ込む。
悪魔=サタン=龍=年を経た蛇は千年の期間が終わるまで、人々を惑わすことはできない。その千年のあと少しの間、解放される。
※悪魔が人を惑わせないのは、惑わしに応じる人がいない、つまり、世には義人だけしかいないためである。
(1-3節)
- 底知れぬところへ行くもの
- (教義と聖約76章)
31)「わたしの力を知り,それにあずかる者とされながら,自らを悪魔の力に打ち負かされるに任せ,また真理を否定し,わたしの力に反抗するに自らを任せたすべての者について,主は次のように言う。
32)すなわち,彼らは滅びの子であり,生まれなかった方が彼らのためによかったとわたしが言う者である。
35)それは,彼らが聖なる御霊を受けた後にそれを否定したため,また御父の独り子を否定したため,また独り子を自ら十字架につけて公に辱めたためである。
36)これらの者は,悪魔やその使いとともに火と硫黄の池の中に入る者であり,
37)また第二の死が何らかの力を持つ唯一の者であり,
38)まことに,主の激しい怒りによる苦しみを受けた後も,主の定められたときに贖われない唯一の者である。
48 それゆえ,その終わり,その幅,その高さ,その深さ,またその悲惨さを,彼らは理解することなく,この罪の宣告に定められる者のほかにはだれも知らない。」
- 救い主は蛇を殺す
- (イザヤ書27章)
1)その日、主は堅く大いなる強いつるぎで逃げるへびレビヤタン、曲りくねるへびレビヤタンを罰し、また海におる龍を殺される。
- サタンは縛られる
- (教義と聖約84章)
100)主はその民を贖われた。サタンは縛られ,もはや時はない。主は万物を一つに集められた。主は上からシオンを下された。主は下からシオンを上げられた。
- サタンは再び解放される
- (教義と聖約43章)
31)そして,サタンは縛られる。また,彼は再び解放されると,しばしの間だけ支配し,その後地球の終わりが来る。
数多くの座に座る人々
数多くの座に座る人々は裁きの権限が与えられている。
そこには、イエスさまの証をし、神さまの言葉を民に伝えたために殺された人々、獣もその像も拝まず、その刻印を額や手に受けることをしなかった人々の霊がいる。
これらの人たちは、第一の復活で復活する、幸いなひとたち、聖なる人たち、第二の死の影響を受けない人たちであり、神さまの救い主の祭司であり、救い主とともに千年間地を支配する。
それ以外の人たちは、千年の期間が終わるまで復活しない。
(4-6節)
- 聖徒のための裁き
- (ダニエル書7章)
22)ついに日の老いたる者がきて、いと高き者の聖徒のために審判をおこなった。そしてその時がきて、この聖徒たちは国を受けた。(コリント人への第一の手紙6章)
2)それとも、聖徒は世をさばくものであることを、あなたがたは知らないのか。(第三ニーファイ27章)
27)あなたがたが知っているように,将来あなたがたは,わたしがあなたがたに与える公正な判断力によって,この民を裁く者となるであろう。(教義と聖約20章)
13)それゆえ,このような大いなる証があるので,世の人々,すなわち,この後この業について知るすべての人は,これらの証によって裁かれるであろう。
14)そして,信仰をもってこれを受け入れ,義を行う者は,永遠の命の冠を受けるであろう。
15)しかし,不信仰によって心をかたくなにし,これを拒む者は,そのことによって自分の罪の宣告を招くであろう。(教義と聖約75章)
21)そうすれば,あなたがたは喜びと楽しみで満たされるであろう。また,このことを知っておきなさい。すなわち,裁きの日に,あなたがたはその家の裁き人となり,彼らを罪に定めるであろう。
- 第一の復活にあずかる者
- (教義と聖約43章)
18)主が天から声を発する日が来る。天は震え,地は揺れ動くであろう。神のラッパが長くかつ高く鳴り響いて,眠っているもろもろの国民に,「あなたがた聖徒よ,立ち上がって生きなさい。あなたがた罪人よ,わたしが再び呼ぶまで,そのまま眠っていなさい」と言うであろう。(教義と聖約88章)
101)これらの者は死者の残りである。千年が終わるまで再び,すなわち世の終わりまで再び,彼らは生きることはない。(教義と聖約63章)
17)それゆえ,主なるわたしは言ってきた。すなわち,恐れる者,信じない者,すべて偽りを言う者,偽りを好んで行う者,みだらな行いをする者,魔術を使う者は,火と硫黄の燃える池で報いを受ける。これが第二の死である。
18)まことに,わたしは言う。彼らは第一の復活にあずからない。
サタンがふたたび
千年の期間が終わるとサタンはその獄から解放される。
つまり、千年の期間が終わるころに復活する人(ゴグ・マゴグ)を誘惑する。
そして、自分の仲間をあつめて、聖徒たちの陣営と愛されていた都(エルサレム・シオン)を包囲する。
天から降ってくる火で焼き尽くされる。
彼らを惑わした悪魔は、獣や偽預言者と一緒に、火と硫黄の池に投げ込まれ、代々限りなく、日夜苦しむ。
(7-10節)
- ゴグ マゴグ
- (創世記10章)
2)「人の子よ、メセクとトバルの大君であるマゴグの地のゴグに、あなたの顔を向け、これに対して預言して、
3)言え。主なる神はこう言われる、メセクとトバルの大君であるゴグよ、見よ、わたしはあなたの敵となる。
- サタンを滅ぼす
- 教義と聖約19章
3)わたしは,世の終わりに,最後の大いなる裁きの日に,サタンと彼の業を滅ぼすほどの一切の権威を保持している。その日に,わたしはすべての人をそのなした行いと業に応じて裁き,世に住む者に宣告を下すであろう。
- 火と硫黄の池に
- (ダニエル書7章)
11)わたしは、その角の語る大いなる言葉の声がするので見ていたが、わたしが見ている間にその獣は殺され、そのからだはそこなわれて、燃える火に投げ入れられた。(教義と聖約76章)
36)これらの者は,悪魔やその使いとともに火と硫黄の池の中に入る者であり,
大きな白い御座にいます方の裁きを受ける
大きな白い御座にいます方の前から、天も地も逃げ去って、あとかたもない。
(海でも、死でも、黄泉でも)すべての死んだ者が御座の前に立っている。
死も黄泉もその中にいる死人を出し、数々の書物といのちの書が開かれて、死人はその仕業に応じ、いのちの書に書かれていることに従って裁きを受ける。
その後、死も黄泉も、いのちの書に名前が記されていない人も、火の池(第二の死)に投げ込まれる。
(11-15節)
- 天も地も新たになる
- (教義と聖約29章)
24)すべて古いものは過ぎ去り,万物が新しくなるからである。まことに天地とその中にある万物,すなわち人も,獣も,空の鳥も,海の魚も新しくなるのである。
25)髪の毛一筋も,ちりも,失われない。それはわたしの手で造られたものだからである。
- それまでの王国は砕かれる
- (ダニエル書2章)
34)あなたが見ておられたとき、一つの石が人手によらずに切り出されて、その像の鉄と粘土との足を撃ち、これを砕きました。
35)こうして鉄と、粘土と、青銅と、銀と、金とはみな共に砕けて、夏の打ち場のもみがらのようになり、風に吹き払われて、あとかたもなくなりました。ところがその像を撃った石は、大きな山となって全地に満ちました。
- 死者の復活
- (アルマ書11章)
43)霊と体は再び結合して完全な形になり,手足も関節も,ちょうど今のわたしたちのような,その本来の造りに回復される。そして,わたしたちは今持っている知識を保ったまま,神の御前に連れ出されて立ち,自分のすべての罪をはっきりと思い出す。
44)さて,この復活は,老いた人にも若い人にも,束縛された人にも自由な人にも,男にも女にも,悪人にも義人にも,すべての人に与えられる。そして,髪の毛一筋さえも失われることはなく,すべてのものが今あるような,その完全な造りに,すなわち体に回復される。それから,自分の行いが善いか,それとも悪いか,行いに応じて裁かれるために,一つの永遠の神である御子なるキリストと御父なる神と聖なる御霊との法廷に連れ出され,罪の有無を問われる。
- 数々の書物が開かれる
- (ダニエル書7章)
10)彼の前から、ひと筋の火の流れが出てきた。彼に仕える者は千々、彼の前にはべる者は万々、審判を行う者はその席に着き、かずかずの書き物が開かれた。
- 行い、心の望みに応じて裁かれる
- (教義と聖約139章)
9)主なるわたしは,すべての人をその行いに応じて,またその心の望みに応じて裁くからである。
- 死が滅ぼされる
- (テモテへの第二の手紙1章)
10)そして今や、わたしたちの救主キリスト・イエスの出現によって明らかにされた恵みによるのである。キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不死とを明らかに示されたのである(コリント人への第1の手紙15章)
26)最後の敵として滅ぼされるのが、死である。
【第21章】世に打ち勝つものは救い主の子となる。地は祝福を得る
新しい天と地
現在存在している天と地と海は消え去り、新しい天と地が現れる。
聖なる都、新しいエルサレムが、着飾った花嫁のように用意を整えて、神さまのもと、天から地に降ってくる。
そこでは、神さまの幕屋が人とともにあり、神さまが人とともに住み、人は神さまの民となり、そこには、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。
すべてのものが新たにされる。
勝利を得るものは、新しい天と地とすべてを受け継ぐ。
臆病な者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、まじないをするもの、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者は、第二の死(火と硫黄の燃える池)を受ける。
- 婚宴
- (マタイによる福音書22章)
2)天国は、ひとりの王がその王子のために、婚宴を催すようなものである。(ヨハネの黙示録19章)
7)わたしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。小羊の婚姻の時がきて、花嫁はその用意をしたからである。
- 新しくなる
- (コリント人への第二の手紙5章)
17)だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。(教義と聖約130章)
5)わたしは,そのとおりであると答える。しかし,この地球において仕える天使たちで,この地球に属していない者,あるいはかつて属していなかった者はだれもいない。
6)天使たちはこの地球のような惑星には住んでおらず,
7)彼らは神の前で,ガラスと火の海のような球体の上に住んでいる。そこでは,彼らの栄光のために,過去も現在も未来もすべてのことが明らかにされ,またそれらは絶えず主の前にある。
8)神が住んでおられる所は,一つの雄大な「ウリムとトンミム」である。
9)この地球は,聖められて不滅の状態になると,水晶のようになり,そこに住む者たちにとって一つの「ウリムとトンミム」になる。そして,これによって下位の王国,すなわち低位のすべての王国に関するすべてのことが,そこに住む者たちに明らかにされる。また,この地球はキリストのものとなる。
- 預言と約束は成就する
- (教義と聖約1章)
37)これらの戒めを調べなさい。これらは真実であり,確かであって,これらの中にある預言と約束はすべて成就するからである。
- アルパでありオメガ
- (教義と聖約45章)
7)まことに,わたしはあなたがたに言う。わたしはアルパでありオメガであり,初めであり終わりであり,世の光であり命である。わたしは暗闇の中に輝いている光である。そして,暗闇はそれを理解しない。
- 勝利を得るものはすべてを受け継ぐ
- 教義と聖約76章
58)それゆえ,書き記されているように,彼らは神々,すなわち神の子である。
59)それゆえ,生も死も,現在のものも将来のものも,すべてのものは彼らのものである。すべては彼らのものであり,彼らはキリストのものであり,キリストは神のものである。
60)彼らはすべてのものに打ち勝つ。詩篇 84編
11)主なる神は日です、盾です。主は恵みと誉とを与え、直く歩む者に良い物を拒まれることはありません。
- 神の息子,娘
- (聖句ガイド)
この言葉は,聖典の中では二つの意味で用いられている。一つは,人は皆文字どおり天の御父の霊の子供であるという意味であり,もう一つは,キリストの贖罪を通して再び生まれた人を神の息子,娘という場合である
・われわれは神の子孫なのである(使徒行伝17:29)
・彼を受けいれた者には,彼は神の子となる力を与えた(ヨハネによる福音書1:12)
・あなたがたはキリストの子と呼ばれ,キリストの息子および娘と呼ばれる(モーサヤ書5:7)
- 新エルサレム
- (聖句ガイド)
聖徒が集合し,キリストが福千年の間聖徒とともに自ら統治される場所。シオン(新エルサレム)はアメリカ大陸に築かれる。そして地球は更新されて,楽園の栄光を受ける(箇条1:10)。新エルサレムは,福千年の初めに天から降くだって来る聖なる都を指すこともある
・わたしはこの民をこの地に立てて,この地は新エルサレムとなる(第三ニーファイ20:22)
・新エルサレムの都が備えられる(教義と聖約42章9,35,62-69)
・聖徒たちは集合し,新エルサレムを築かなければならない(教義と聖約45章63-75)
・新エルサレムがミズーリに建てられる(教義と聖約84章1-5)
・小羊がシオンの山と,聖なる都である新エルサレムに立つ(教義と聖約133章56)
・わたしの幕屋はシオン,すなわち新エルサレムと呼ばれるであろう(モーセ書7:62)
- シオン
- (聖句ガイド)
心の清い者(教義と聖約97:21)。シオンという言葉には,心の清い人々が住む所という意味もある。エノクとその民が築き,ついに義のゆえに天に取り上げられた町はシオンと名付けられた(教義と聖約38:4;モーセ書7:18-21,69)。末日にシオンという名の町がミズーリ州ジャクソン郡の近くに建設される。そしてイスラエルの諸部族がここに集合する(教義と聖約103:11-22;133:18)。聖徒たちは,世界のどこに住んでいるかにかかわらず,その地でシオンを築くように勧告されている。
ダビデの町はシオンと呼ばれた(列王記上8:1)・律法はシオンから出る(イザヤ書2:2-3;ミカ書4:2; ニーファイ第二書12:2-3).
・贖あがない主はシオンに来られる(イザヤ書59:20)
・町からひとり,氏族からふたりを取って,あなたがたをシオンへ連れて行こう(エレミヤ書3:14)
・シオンの山とエルサレムとに,のがれる者があるからである(ヨエル書2:32;オバデヤ書1:17).
・わたしのシオンを起こそうと努める者は幸いである(ニーファイ第一書13:37)
・シオンの娘たちは高ぶり(ニーファイ第二書13:16;イザヤ書3:16).
・シオンでのんきに暮らす者は,災いである(ニーファイ第二書28:19-25)
・シオンの大義を起こして確立するように努めなさい(教義と聖約6:6;11:6)
・わたしは,善のために大いなる力をもってシオンの大義を推し進めるようにと彼に霊感を与えた(教義と聖約21:7)
・新エルサレムはシオンと呼ばれる(教義と聖約45:66-67)
・ミズーリ州インディペンデンスは,シオンの町のための場所である(教義と聖約57:1-3)
・悔い改めるまで,シオンの子らのうえに懲らしめが残る(教義と聖約84:58)
・主はその民をシオンと呼ばれた。彼らが心を一つにし,思いを一つにし,義のうちに住んだからである(モーセ書7:18-19)
聖都エルサレム
都はすきとおったガラスのような純金で造られていおり、高価な宝石のように、透明な碧玉(へきぎょく、jasper、ジャスパー)のように輝く。
都の大通りは、すきとおったガラスのような純金
都は正方形で、金のはかりざおで測ると、長さと幅と高さは一万二千丁。( 185.2 meters.)
都は、日や月がそれを照す必要がない。神の栄光が都を明るくし、小羊が都のあかりだからである。
諸国民は都の光の中を歩き、地の王たちは、自分たちの光栄をそこに携えて来る。
高い城壁があり、東西南北にそれぞれ3つずつ計12の門、それぞれの門にはおのおのひとりの御使がいて、12部族のいずれかの名前が付いている。
十二の門は十二の真珠であり、門はそれぞれ一つの真珠で造られている。
都の門は、終日、閉ざされることはない。そこには夜がないからである。
城壁は碧玉で築かれ、御使と人の尺度で144キュビト。
都の城壁には12の土台があり、それぞれに、12使徒の名前がひとつずつ書いてある。
各城壁の土台は、さまざまな宝石で飾られていた。第一の土台は碧玉、第二はサファイヤ、第三はめのう、第四は緑玉、第五は縞めのう、第六は赤めのう、第七はかんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉石、第十はひすい、第十一は青玉、第十二は紫水晶。
この都の中には聖所はない。全能者にして主なる神と小羊とが、その聖所なのである。
人々は、諸国民の光栄とほまれとをそこに携えて来る。
都にはいれる者は、小羊のいのちの書に名をしるされている者だけである。
汚れた者や、忌むべきこと及び偽りを行う者は、都の中に決してはいれない。
- 高い山に連れていかれ
- (エゼキエル書40章)
2)すなわち神は幻のうちに、わたしをイスラエルの地に携えて行って、非常に高い山の上におろされた。その山の上に、わたしと相対して、一つの町のような建物があった。(モーセ書1章)
1)モーセが非常に高い山に連れて行かれたときに,神がモーセに語られた御言葉。
- エルサレム
- (モーセ書7章)
21)さて,主はエノクに,地に住むすべての者を見せられた。彼はまことに,時がたってシオンが天に取り上げられるのを見た。また,主はエノクに,「とこしえにわたしの住まいを見なさい」と言われた。
62)また,わたしは天から①義を下そう。また,地から真理を出して,わたしの独り子と,死者の中からの独り子の復活と,またすべての人の復活について証しよう。そして,わたしは義と真理が洪水のごとくに速やかに地に広まるようにし,わたしが備える場所,すなわち聖なる都に地の四方からわたしの選民を集めよう。それは,わたしの民がその腰に帯を締め,わたしの来臨の時を待ち望めるようにするためである。わたしの幕屋はそこにあり,そこはシオン,すなわち新エルサレムと呼ばれるであろう。」
63)また,主はエノクに言われた。「そのとき,あなたとあなたの町のすべての者はそこで彼らに会い,わたしたちは彼らを懐に迎え入れ,彼らはわたしたちを見るであろう。そして,わたしたちは彼らの首を抱き,彼らはわたしたちの首を抱いて,わたしたちは互いに口づけするであろう。
64)わたしの住まいはそこにある。それは,わたしが造ったすべての創造物の中から出て来るシオンである。そして,千年の間,地は②安息を得るであろう。」
- 神さまの栄光
- (エゼキエル書43章)
2)その時、見よ、イスラエルの神の栄光が、東の方から来たが、その来る響きは、大水の響きのようで、地はその栄光で輝いた。
- 町の門
- (エゼキエル書48章)
31)町の門はイスラエルの部族の名にしたがい、三つの門になっている。すなわちルベンの門、ユダの門、レビの門である。
- 宮の外の周囲の長さ
- (エゼキエル書40章)
5)見よ、宮の外の周囲に、かきがあり、その人の手に六キュビトの測りざおがあった。そのキュビトは、おのおの一キュビトと一手幅とである。彼が、そのかきの厚さを測ると、一さおあり、高さも一さおあった。
- 金を敷き詰めたように輝く王国
- (教義と聖約137章)
4)わたしはその王国の美しい街路を見た。それは金を敷き詰めたかのようであった。
- 太陽も月よりも輝く
- (イザヤ書60章)
19)昼は、もはや太陽があなたの光とならず、夜も月が輝いてあなたを照さず、主はとこしえにあなたの光となり、あなたの神はあなたの栄えとなられる。
- 各地から栄光を持ってくる
- (イザヤ書49章)
22)主なる神はこう言われる、「見よ、わたしは手をもろもろの国にむかってあげ、旗をもろもろの民にむかって立てる。彼らはそのふところにあなたの子らを携え、その肩にあなたの娘たちを載せて来る。(イザヤ書60章)
5)その時あなたは見て、喜びに輝き、あなたの心はどよめき、かつ喜ぶ。海の富が移ってあなたに来、もろもろの国の宝が、あなたに来るからである。
- エルサレムの門
- (イザヤ書60章)
11)あなたの門は常に開いて、昼も夜も閉ざすことはない。これは人々が国々の宝をあなたに携えて来、その王たちを率いて来るためである。
- 汚れたものは入れない
- (教義と聖約76章)
101)しかし福音も,イエスの証も,預言者たちも,永遠の聖約も受け入れなかった。
102)最後に,これらすべての者は,聖徒たちとともに集められず,長子の教会のもとに引き上げられて雲の中に迎えられることのない者である。
103)これらは,偽りを言う者,魔術を使う者,姦淫を行う者,みだらな行いをする者,また偽りを好んで行う者である。
104)これらは,地上で神の激しい怒りを受ける者である。
105)これらは,永遠の火の刑罰を受ける者である。
106)これらは,キリストがすべての敵をその足の下に従わせて,その業を完成される時の満ちるまで,地獄に投げ落とされて,全能の神の激しい怒りを受ける者である。
111)彼らはその行いに応じて裁かれ,すべての人は自分の行いに応じて,用意されている住まいにおいて自分の領域を受けるであろう。
112)彼らはいと高き方の僕である。しかし,神とキリストの住む所には,世々限りなく,来ることができない。」
【第22章】聖徒は日の栄で治める
いのちの水の川
水晶のように輝いているいのちの水の川が、神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れている。
川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす。
(1-2節)
- いのちの水
- (エゼキエル書47章)
1)そして彼はわたしを宮の戸口に帰らせた。見よ、水の宮の敷居の下から、東の方へ流れていた。宮は東に面し、その水は、下から出て、祭壇の南にある宮の敷居の南の端から、流れ下っていた。(ヨエル書 3章)
18)その日もろもろの山にうまい酒がしたたり、もろもろの丘は乳を流し、ユダのすべての川は水を流す。泉は主の家から出て、シッテムの谷を潤す。(ゼカリヤ書14章)
8)その日には、生ける水がエルサレムから流れ出て、その半ばは東の海に、その半ばは西の海に流れ、夏も冬もやむことがない。
- 命の木
- (創世記2章)
9)また主なる神は、見て美しく、食べるに良いすべての木を土からはえさせ、更に園の中央に命の木と、善悪を知る木とをはえさせられた。(エゼキエル書47章)
12)川のかたわら、その岸のこなたかなたに、食物となる各種の木が育つ。その葉は枯れず、その実は絶えず、月ごとに新しい実がなる。これはその水が聖所から流れ出るからである。その実は食用に供せられ、その葉は薬となる」
都には神さまと救い主がおられる
神と小羊との御座は都の中にあり、その僕たちは神と小羊を礼拝し、御顔を仰ぎ見る。僕たちの額には、御名がしるされている。
夜はなく、あかりも太陽もいらない。
救い主である神さまが人々を照らし、彼らは永遠に支配する。
神様は、すぐにも起こるべきことをその僕たちに知らせるために御使を遣わされた。
なので、預言の言葉は信ずべき、真実である。
救い主はすぐに来る。預言の言葉を守る者は幸いである。
(3-7節)
- 神さまの王座
- (エレミヤ書3章)
17)そのときエルサレムは主のみ位ととなえられ、万国の民はここに集まる。すなわち主の名のもとにエルサレムに集まり、かさねて、かたくなに自分の悪い心に従うことはしない。(ヨエル書3章)
19)エジプトは荒れ地となり、エドムは荒野となる。彼らはその国でユダの人々をしえたげ、罪なき者の血を流したからである。
20)しかしユダは永遠に人の住む所となり、エルサレムは世々に保つ。
21)わたしは彼らに血の報復をなし、とがある者をゆるさない。主はシオンに住まわれる」(ゼカリヤ書2章)
10)主は言われる、シオンの娘よ、喜び歌え。わたしが来て、あなたの中に住むからである。
11)その日には、多くの国民が主に連なって、わたしの民となる。わたしはあなたの中に住む。
12)あなたは万軍の主が、わたしをあなたにつかわされたことを知る。主は聖地で、ユダを自分の分として取り、エルサレムを再び選ばれるであろう」。
- 聖徒は神さまに会う
- (ヨハネによる福音書14章)
3)そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。(テサロニケ人への第一の手紙4章)
17)それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。(教義と聖約38章)
8)しかし,あなたがたがわたしを見て,わたしのいることを知る日がすぐに来る。暗黒の幕が間もなく裂かれるからである。清められていない者は,その日に堪えられないであろう。
- 太陽の光はいらない
- (イザヤ書60章)
19)昼は、もはや太陽があなたの光とならず、夜も月が輝いてあなたを照さず、主はとこしえにあなたの光となり、あなたの神はあなたの栄えとなられる。
- 御国を受け継ぐ
- (マタイによる福音書25章)
34)そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。
- 永遠に続く
- (教義と聖約132章)
20)それで,彼らは神々となる。彼らには終わりがないからである。それゆえ,彼らは続くので永遠から永遠に至り,すべてのものが彼らに従うので,彼らはすべてのものの上にあるであろう。それで,彼らは神々となる。彼らは一切の権威を持ち,天使たちが彼らに従うからである。
- 信ずべき、真実
- (教義と聖約68章)
33)わたしは激しく怒って誓い,地の面に戦争があるように定めた。そこで,悪人は悪人を殺し,恐怖がすべての人に及ぶであろう。
34)また,聖徒たちもほとんど逃れられない。それにもかかわらず,主なるわたしは彼らとともにおり,また,天から,父のもとから降って来て,消すことのできない火で悪人を焼き尽くそう。
- すぐにおこるべきこと
- (教義と聖約88章)
79)また,天のこと,地のこと,地の下のこと,かつてあったこと,現在あること,すぐにも必ず起こること,国内にあること,国外にあること,戦争と諸国民の混乱,地上にある裁き,国々と王国に関する知識についても同様である。
- 救い主はすぐに来る
- (教義と聖約51章)
20)まことに,わたしはあなたがたに言う。わたしはイエス・キリストであり,あなたがたの思いがけないときにすぐに来る。まことにそのとおりである。アーメン。
- 預言の言葉を守る者
- (教義と聖約58章)
2)まことに,わたしはあなたがたに言う。生きるも死ぬも,わたしの戒めを守る者は幸いである。艱難の中で忠実な者の受ける報いは,天の王国においてもっと大きい
これらのことが起きるときは近い
これらの啓示を受けたヨハネが、示現を示した御使を拝そうとして、同じ僕仲間なので、と御使に止められる。
これらの預言の言葉を伝える広める必要がある、時が近づいているからである、という。
(8-10節)
聖なるものと不義なものは分離される
義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うのにまかせられる
不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行うようにまかせられ、
救い主は来て、それぞれのしわざに応じて報られる。
いのちの木にあずかる特権を与えられ、悔い改めて罪を洗い清められる者たちは、さいわいである。
不義なことをして悔い改めない者は、都の外に出される。
(11-15節)
- 不義を行う
- (アルマ書41章)
13)おお,わが子よ,そうではない。回復とは悪を悪に,肉欲を肉欲に,悪心を悪心に,善を善に,義を義に,公正を公正に,憐れみを憐れみに再び返すことである。
15)あなたから出るものがあなたに返って来て,回復されるからである。したがって,回復という言葉は罪人をさらにはっきりと罪に定めるのであって,決して義とはしないのである。(ダニエル書12章)
10)多くの者は、自分を清め、自分を白くし、かつ練られるでしょう。しかし、悪い者は悪い事をおこない、ひとりも悟ることはないが、賢い者は悟るでしょう。
- 救い主が来られる
- (テサロニケ人への第一の手紙2章)
19)実際、わたしたちの主イエスの来臨にあたって、わたしたちの望みと喜びと誇の冠となるべき者は、あなたがたを外にして、だれがあるだろうか。(テサロニケ人への第一の手紙3章)
13)そして、どうか、わたしたちの主イエスが、そのすべての聖なる者と共にこられる時、神のみまえに、あなたがたの心を強め、清く、責められるところのない者にして下さるように
- 行いに応じて報いる
- (アルマ書41章)
13)おお,わが子よ,そうではない。回復とは悪を悪に,肉欲を肉欲に,悪心を悪心に,善を善に,義を義に,公正を公正に,憐れみを憐れみに再び返すことである。
ダビデの若枝また子孫であり、輝く明けの明星
救い主は、御使によって、諸教会のために、ヨハネにこれらのことを示した。
これを語っているのは、ダビデの若枝また子孫であり、輝く明けの明星である。
御霊も花嫁も、聴く者も「来たりませ」と言う。
渇いている者、命の水が欲しい者は、値なしに受ける。
(16節17節)
- ダビデの若枝
- (イザヤ書53章)
2)彼は主の前に若木のように、かわいた土から出る根のように育った。彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。
- 輝く明けの明星
- (ペテロの第二の手紙2章)
19)こうして、預言の言葉は、わたしたちにいっそう確実なものになった。あなたがたも、夜が明け、明星がのぼって、あなたがたの心の中を照すまで、この預言の言葉を暗やみに輝くともしびとして、それに目をとめているがよい。
- 救い主のもとに来て
- (モロナイ書10章)
32)まことに,キリストのもとに来て,キリストによって完全になりなさい。神の御心に添わないものをすべて拒みなさい。もしあなたがたが神の御心に添わないものをすべて拒み,勢力と思いと力を尽くして神を愛するならば,神の恵みはあなたがたに十分であり,あなたがたは神の恵みにより,キリストによって完全になることができる。そしてあなたがたは,神の恵みによりキリストによって完全になれば,決して神の力を否定することができない。
預言を書き換えるものは
(18-21節)
- 付け加えたり減らしたりしてはならない
- (申命記4章)
2)わたしがあなたがたに命じる言葉に付け加えてはならない。また減らしてはならない。わたしが命じるあなたがたの神、主の命令を守ることのできるためである。(第三ニーファイ11章)
40)また,これ以上のこと,あるいはこれに及ばないことを告げ知らせて,それをわたしの教義とする者は,悪から出る者であり,わたしの岩の上に建てられてはいない。このような者は,砂の土台の上に建てているのである。地獄の門は開かれており,洪水が起こり,風が打ちつけるときにこのような者を迎え入れる。(教義と聖約20章)
35)また,わたしたちは知っている。すなわち,これらのことは真実であり,ヨハネの啓示にあるとおりであり,わたしたちは彼の書の預言や数々の聖文や,この後聖霊の賜物と力によって,神の声によって,あるいは天使の働きによって与えられる神の啓示に加えることも,そこから取り去ることもない。
- 救い主はすぐに来る
- (教義と聖約33章)
18)見よ,まことに,まことに,あなたがたに言う。わたしはすぐに来る。まことにそのとおりである。アーメン。教義と聖約35章.
27)小さい群れよ,恐れてはならない。わたしが来るまで,王国はあなたがたのものである。見よ,わたしはすぐに来る。まことにそのとおりである。アーメン。
- 神さまの恵みがあるように
- (ローマ人への手紙16章)
24)〔わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがた一同と共にあるように、アァメン。〕