赤ずきん

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赤ずきん

ある夏の日の夜、むしあつい風とともに。 あらわれた2つの影。

「兄ぃ、今日も うまくいきましたねぇ」
「おう、ひとりぐらしのばあさんなんてちょろいもんだぜ」

2人を送ってきた1つの影。

「ごようだ、ごようだ」

しかし2人は何くわぬ顔で去ってゆく。

「まて、にげるんじゃねェ。にげるんじゃねェ。
ああ、またにがしちまった。 これで俺もくびだな。」

また、町方がこの町から消えていった。
そう、あの2人こそ京の夜を恐怖させた狼党なのです。
しかしここに1人、狼党にたちむかう乙女がいました。

「狼党のやつら、弱い者ばかりいじめてゆるせないわ。きっとこの赤ずきんがつかまえていじめてやる。」

そこに、今夜、またひとしごとおえた狼党の子分が。

「あぶねぇ、あぶねぇ、もう少しでつかまるところだった。」

「おいそこの狼党。」

「なんでぇ、女じゃないか。」

「女だと思って甘く見るんじゃないわよ。この赤いずきんが目に入らないか。」
「ひょっとして、、お前 。・・・」
「そう、かいけつ赤ずきんよ。」
「にげろ。・・」
「まて。」

赤ずきんが狼党の子分をつかまえると、親分格があらわれました。

「兄い助けてください。」

「おう、お前が快傑(かいけつ)赤ずきんかい。」
「そう。この赤ずきんがいるかぎり、てめえらに好きかってなまねはさせないよ。」
「うるせえ、どうせあとの短けえやつらだ。めいどまでは金はもっていけねェんだから、俺達がもらってやっているのよ。」
「ぬすっとにも3分の理ってやつか。でも私は ゆるませんよ。」

「そうけぇ。わかった。ちょっとまってな。」

狼党主はおばあさんに変身してベッドによこたわっている。

「おばあさんこんにちは。」
「おお、赤ずきんかい。」

「おばあさん。元気?」
「ああ、元気だよ。」

「良かった。ところで少し毛深くなってきたわね。」
「少し寒くなってきたからね。」

「少し耳が長くなったみたいね。」
「お前の声を良くきくためだよ。」

「少し口が大きくなったわね。」
「これはお前を食べるためだよ。」

その一言で2人は大げんかをはじめました。
しかし、しょせん、狼は主役には勝てません。

「おぼえてがれ。」と、きまり文句をのこして去ってゆきます。

さて、赤ずきんは、まだ年若い狼党の子分の話をきいてやります。

「どうしてあんなやつの手下になったんだい。」
「俺の親は、俺が3つの時に死んで、それから、俺は親せき中をたらい回しにされたんだ。」

「それで、ぐれてしまったんだね。」
「そうだ。俺が悪いんじゃない。」

「ばかやろう。」 ついに、赤ずきんの手が音をたてました。
「なにするんだい。」

「お前はダイヤモンドに目がくらんだんだ。」
「いいえ、私、年寄なんてきらいよ。」

「僕は今夜をきっと忘れない。来年の今月今夜、再来年の今月今夜のこの月をぼくの涙で曇らせてみせよう。」
「赤さん。」

「ええぃ、よるな、この狼。」と、赤ずきんは狼を足げにします。

「なにしあがんでぇ。」

「なぜ私が赤いずきんをかぶっているか知っているかい?」

「知るか。」

「私も若いころ悪かったのよ。」
「どこが悪かったんだい?」
「頭だ。」
「頭ですか。」

「そう頭が悪くて、学校の成積が悪くて、いつも母親にしかられていたんだ。」

赤ずきんの回想です。

「お前はどうしてそんなに頭が悪いんだい。」
「母さんの子供だからだ。」
「ばかを言うんじゃない。私は若いころ、もっと賢かった。私の子供なら、もっとりこうになっているはずよ、お前は私の子供じゃないのよ。」

「じゃあ誰の子供なの?」
「お父さんの子供よ。あなたはお父さん似よ。」
「えっ私, お父さん似なの?」

「そのひとことで私は家を出たのよ。苦労したわ。
 その後、若い男にひっかかってね、いろいろあって尼寺に入ったのよ。
 それで、ずきんをかぶっているのよ。」

そう言って、赤いずきんをとると、赤ずきんの頭には髪がありませんでした。

「そうですか あねさんには そんな暗い過去があったのですか。」

「お前もがんばって正しく生きるんだよ。」
「はい、あねさん。」

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この物語からあなたは何を学びますか

ここまで読まれて、自分には関係のない話だ、何の役にたつんだ、と思われているかもしれませんね。

わたしも最初に聖書を読んだとき、とても信じられない、こんなことありっこない、と思っていました。
それでも、その後、何度か聖書に出会う機会があり、読む機会があり、自分に当てはめて考えるようになりました。
そのうちのいくつかをここに示しました。

あなたも、この物語から、自分に役立つなにかをみつけていただければ幸いです。

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
(ヨハネによる福音書5章39節)

聖書のこの書、この物語のどんな点でイエスキリストを見出しますか?
ここまで読んでくださったあなたへ
あなたは神様の子で、神様のみもとに永遠に住むことができる存在にです。
地上に来たのは、いろいろな経験により、あなたの能力が増し加わり、ほかの人を助けることができるようになるためです。

わたしもこれから成長していきたいので、あなたとともに歩んでいきたいと願っています。

神様はあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。

ご質問があれば、下のほうにコメント欄があるのでそちらに書き込んでください。

聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
あなたがこの世に来たのは、神様の戒めに従って生きるため。
神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えても、それに惑わされずに生きるために神様は道を示してくださいます、
そして、たとえ道を誤ったとしても、また戻ってくる方法があります。

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