モルモン書・モーサヤ書11章の要約と感想

モルモン書のモーサヤ書11章には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。

こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のモーサヤ書11章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。

ー 広告 ー

モルモン書・モーサヤ書11章の要約と感想

モルモン書のモーサヤ書11章は掲載すると長くなるので以下には掲示していません。
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
モーサヤ書11章のオンライン版はここをクリック
※別タブ(画面)で開きます

モルモン書のモーサヤ書11章には、ひとりの王様の罪が、短期間に、民にも悪影響を与え、正しい道に戻るように呼び掛ける神さまの声にも耳を傾けることができなくなるほど高慢になる姿が記されています。
ノア王は父の道を歩まず、神さまの教えをないがしろにし、自分のしたい放題の生活を送り、民にも罪悪を犯させました。そこに預言者が現れて神さまの悔い改めるようにという言葉を伝えます。
ノア王も民もその預言者を殺そうとします。

モーサヤ書10章ゼニフの言葉がそのまま記されているが、11章では再びモルモンが語り手となって登場する。

ゼニフの息子ノアは父の道を歩まなかった

※モーサヤ書10章21節で「王位を息子の一人に譲った」とあるので。ゼニフには複数の息子がいたと思われる。
※ゼニフがノアに王位を譲った理由は不明である。長男だったからかもしれない。

ノアは父に代わって統治を始めたが、彼は父が神さまの前に歩んだようには、歩まなかった。

  • ノア王は神さまの戒めを守らずに、自分の心の望むままに(※肉欲に従って)歩んだ。
    • ノア王は多くの妻とそばめを持ち、彼らと放埓な生活に時を過ごした。
  • 民にも罪を犯させ、神さまの目から見て忌まわしいことを行わせた。
    • 民はみだらなこととあらゆる悪事とを行った。
  • ノア王は王国の政務を変えて、民が所有するすべてのものに20%の税をかけ、その税をすべて自分自身と妻たちとそばめたちと祭司たちとその妻たちとそばめたちの生活を支えるために使った。
  • ノア王は父ゼニフが任命した祭司たちをすべて辞めさせ、代わりに高慢な心の高ぶっている新しい祭司たちを任命した。
    • 祭司たちは、ノア王が民に課した税で、怠惰に暮らし、偶像を拝し、娼婦たちと時を費やして、みだらなことを行った。
  • 民は罪悪を支えるために非常な骨折りをした
  • 民は王や祭司たちのむなしいへつらいの言葉に騙され、偶像を礼拝するようになった。
※ゼニフ王の時代には税は0%もしくはそれに近かっただろう。それが20%つまり10のうち2つ、5つのうち1つを税として取り上げられるようになったのである。
※むなしいへつらいの言葉=みなさんは正しくて強い、何をしても大丈夫だ、これらの像が助けてくれるのだ、というような言葉かもしれない。

ノア王は民から取り立てた税を使って贅沢に暮らした。

  • 風雅で広々とした建物を沢山建て、貴重な品で造った見事な細工で飾った。
  • 自分のために、上等な木材と貴重な品で、大きな宮殿を建て、王座を設けた。
  • 職人たちに、神殿内に上等な材木と銅と真鍮であらゆる見事な細工をさせた。
  • 大祭司たちのために最も高い座を純金で飾り、大祭司たちがむなしい偽りの言葉を民に述べるときに、体と腕を持たせかけることができる台を作らせた。
  • 神殿の近くに付近一帯を見渡すことができるほど、非常に高い塔を建てた。
  • シャイロムの地にも多くの建物を建てさせた。
  • かつてニーファイ人が逃げ出したときに集合場所としたシャイロムの北方の丘の上に一つのおおきな塔を建てさせた。

ノア王は富に心を寄せた。

  • ノア王は国内のいたるところにぶどう園を設け、ぶどうの絞り場を設けて、ぶどう酒をたくさん造った。そのために王も民も大酒飲みになった。
※父ゼニフは悔い改めて神さまの道を歩んだ。その息子ノアは神さまの道から離れて自分の心のままに行った。権力は人を神さまから離れやすくするのかもしれない。民は王や、王が選んだ高慢な祭司たちの影響も受け、神さまの教えから離れていった。一人の王の影響力は大きい。
※リーハイたちが最初に住んだ、リーハイ・ニーファイの地から、モーサヤ1世たちは北に逃げた。そこにゼラヘムラの地があった。彼らが逃げたのはレーマン人から追われたからなのかは不明だが、ゼラヘムラの民には祝福となった。

(1-15節)

レーマン人の来襲

ノア王の民が少数で畑にいるときや、家畜の群れの世話をしているときに、レーマン人が襲って殺すようになる。

ノア王は、レーマン人の来襲を防ぐために、見張りの兵を国の周囲に送ったが、人数が少なかったので、レーマン人はノア王の民を襲って殺し、沢山の家畜の群れを連れ去った。

ノア王は、軍隊を送り、一時的に、レーマン人を撃退し、分捕り品を得たことを喜んだ。
ノア王の民は、王や祭司たちの罪悪のために、この大勝利でますます高慢になり、自分たちの強さを誇り、レーマン人の血を流すことを喜んだ。

※ただ一度の勝利に酔い、自分たちの強さを誇る。高慢は自分たちを正しく見ることを妨げてしまう。
王の祭司たちは自分たちの悪事に心を取られていて、民を正しく導かなかった。

(16-19節)

教義と聖約3章
4)たとえある人が多くの啓示を受け,多くの力ある業を行う力を持つとしても,もし自分の力を自慢し,神の勧告を無視して,自分の思いと肉の欲望が命じることに従うならば,彼は必ず落ちて,公正な神の報復を自分に招くであろう。

アビナダイが悔い改めを伝える

ノア王の民の中から、アビナダイが現れ、神さまの言葉を民に伝えた。

  • ノア王の民は災いである
  • 神さまはノア王の民の忌まわしい行い悪事みだらな行いをご覧になった。
  • 悔い改めなければ、神さまの怒りが及び、ノア王の民に罰が降る。
  • 悔い改めて、救い主のもとに立ち返らなければ、ノア王の民はレーマン人の手に落ち、奴隷になり、レーマン人に苦しめられる。
  • そうして、救い主である神さまは、ご自分と誓約した民の罪悪を罰することを知るようになる。
  • ノア王の民を奴隷の状態から救い出せるのは、全能の神様だけである。
  • ノア王の民が、神さまに叫び求めても、神さまはその叫びを聞くことを遅くして、ノア王の民がレーマン人に打たれるままにされる。
  • ノア王の民が、心からへりくだって、悔い改め、神さまに熱烈に叫び求めない限り、神さまはノア王の民の祈りを聞かず、苦難から救い出さない。
※神さまはノア王の民をも愛しておられた。彼らが悔い改めて神さまのもとに帰り、苦しみを負わなくて済むように道を備えておられた。

(20-25節)

ミカ書3章
4)こうして彼らが主に呼ばわっても、主はお答えにならない。かえってその時には、み顔を彼らに隠される。彼らのおこないが悪いからである。

イザヤ書59章
2)ただ、あなたがたの不義があなたがたと、あなたがたの神との間を隔てたのだ。またあなたがたの罪が主の顔をおおったために、お聞きにならないのだ。

民と王はアビナダイに腹をたてた

    ノア王の民は、アビナダイの話を聞いて腹を立て、アビナダイを殺そうとした。
    ノア王も、アビナダイの話を伝え聞いて、腹を立て、アビナダイを殺そうとした。
    神さまはアビナダイをノア王とノア王の民から救い出された。

    ノア王も民も、まったく罪の意識を持つことも悔い改めることもなく、心をくらまされ、心をかたくなにして、アビナダイを捕えようとした。
    ノア王は、ますます高慢になって、アビナダイや神さまの言葉に耳を貸さず、アビナダイを民を扇動して民の中に争いを生じさせる者だと断じた。

※ノア王も民も、高慢な心がつのり、神さまの言葉に耳を傾けることができなくなっていた。忠告に耳を傾けることができなくなっていた。

(26-29節)

モーセ書4章
4)そして,彼はサタン,すなわち,あらゆる偽りの父である悪魔となって,人々を欺き,惑わし,またまことに,わたしの声を聴こうとしないすべての者を自分の意のままにとりこにする者となった。

ー 広告 ー

Google広告の内容を変更する手順(興味のない広告は表示させない)はこちら

モルモン書・モーサヤ書11章からあなたは何を学びますか



当ブログ内の関連ページ
<聖典からの教訓>

「聖典からの教訓」のサブカテゴリ

この物語からあなたは何を学びますか

ここまで読まれて、自分には関係のない話だ、何の役にたつんだ、と思われているかもしれませんね。

わたしも最初に聖書を読んだとき、とても信じられない、こんなことありっこない、と思っていました。
それでも、その後、何度か聖書に出会う機会があり、読む機会があり、自分に当てはめて考えるようになりました。
そのうちのいくつかをここに示しました。

あなたも、この物語から、自分に役立つなにかをみつけていただければ幸いです。

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
(ヨハネによる福音書5章39節)

聖書のこの書、この物語のどんな点でイエスキリストを見出しますか?
ここまで読んでくださったあなたへ
あなたは神様の子で、神様のみもとに永遠に住むことができる存在にです。
地上に来たのは、いろいろな経験により、あなたの能力が増し加わり、ほかの人を助けることができるようになるためです。

わたしもこれから成長していきたいので、あなたとともに歩んでいきたいと願っています。

神様はあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。

ご質問があれば、下のほうにコメント欄があるのでそちらに書き込んでください。

聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
あなたがこの世に来たのは、神様の戒めに従って生きるため。
神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えても、それに惑わされずに生きるために神様は道を示してくださいます、
そして、たとえ道を誤ったとしても、また戻ってくる方法があります。

当ブログ内の関連ページ
<聖典からの教訓>

「聖典からの教訓」のサブカテゴリ

当記事を含む当ブログ内の記事はすべて、執筆者の個人的な見解です。いずれかの組織・団体を代表するものではありません。
ー 広告 ー

ー 広告 ー
NO IMAGE
最新情報をチェックしよう!