モルモン書・ニーファイ第二書18章の要約と感想

モルモン書のニーファイ第二書18章には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。

こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。

モルモン書のニーファイ第二書18章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。

モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。

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モルモン書・ニーファイ第二書18章の要約と感想

モルモン書のニーファイ第二書18章は掲載すると長くなるので以下には掲示していません。
ご自身でオンラインまたは書籍で読んでいただくようにお願いします。
ニーファイ第二書18章のオンライン版はここをクリック
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ニーファイ第二書18章は、ニーファイがイザヤの預言を私たちに読むように勧めている箇所。聖書のイザヤ書8章に該当。
アッスリヤが北イスラエル王国を征服し、ユダ王国にも押し寄せる。神さまに頼り、信仰を固く守れば、神さまの祝福で守られただろう。
エルサレムが攻められたことはニーファイにとっては過去の出来事である。これを伝える目的は同じことが繰り返し起きることの警告と末の日の救いを伝えることにある。

マヘル・シャラル・ハシ・バズ

ヘブライ語で「急いで略奪しようと,速やかに獲物にする」の意。アッスリヤの攻撃が近づいていることへの警告。

イザヤの子の名前として、神さまが与えた。

預言の通り、その子が生まれてからしばらくして、つまり、この子がまだ「お父さん,お母さん」と呼ぶことを知らないうちに,スリア(首都はダマスコ)の富と北イスラエル(首都はサマリヤ)との分捕り品が,アッスリヤの王のもとに運び去られることを見て、ユダ王国の人々はイザヤを預言者として確信した。

アッスリアはユダ王国にも迫ってきていた。
(1-4節)

ユタ王国にもアッスリアに攻められる

ユダ王国の中を緩やかに流れるシロアの水。ユダ王国の民の命を優しく守ってきた水。これは、神さまがユダ王国を守ってきたことを示す。

ユダ王国の民は、自分たちの神さまの教えと守りから離れて、近隣諸国の偶像崇拝に陥っていた。

神さまを心から信じることをせず、儀式を形式的に守り、偶像を拝み、その宗教の教えや習慣を取り入れていたのである。
そのために、ユダ王国(南イスラエル王国)も、北イスラエル王国と同様に、アッスリアの攻撃にさらされた。

アッスリアは、まず北イスラエル王国(地図ではユダ王国の上にある)全土を襲い、その勢いのまま、国境を越えてユダ王国に襲い掛かり、ほぼすべてを征服する。
(5-8節)

参照聖句
アッスリヤが攻め寄せる
(ニーファイ第二書18章)
7)それゆえ見よ,主は勢いと水量のある川の水,すなわちアッスリヤの王と彼れのすべての栄光を彼れらのうえにもたらす。それはすべての水路にあふれ,すべての堤みを越え,
8)ユダに流れ込み,あふれみなぎって,首にまで達する。

忠実なものには神さまの守り

国々が連合し、相測り、謀略をめぐらしても達成することはない。命令しても行われない。神さまがユダ王国を守っておられるからである。

ユダ王国の民は自らの安全を得るために他国との密約に頼ってはならない。
他国の者が恐れるものを恐れてはならない。

神さまの前に敬虔であり謙遜であり、神さまをたたえ、恐れとし、おののきとしなさい。

そうすれば、イスラエルは守られる。

しかし、イスラエルの民の反抗する者にとっては、救い主の存在はさまたげ、躓き、網、わな、落とし穴となる。
(8-15節)

参照聖句
隅のかしら石・躓きの石
(ペテロ第一の手紙2章)
4)主は、人には捨てられたが、神にとっては選ばれた尊い生ける石である。
5)この主のみもとにきて、あなたがたも、それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストにより、神によろこばれる霊のいけにえを、ささげなさい。
6)聖書にこう書いてある、/「見よ、わたしはシオンに、/選ばれた尊い石、隅のかしら石を置く。それにより頼む者は、/決して、失望に終ることがない」。
7)この石は、より頼んでいるあなたがたには尊いものであるが、不信仰な人々には「家造りらの捨てた石で、隅のかしら石となったもの」、
8)また「つまずきの石、妨げの岩」である。しかし、彼らがつまずくのは、御言に従わないからであって、彼らは、実は、そうなるように定められていたのである。

(マタイによる福音書21章)
42)イエスは彼らに言われた、「あなたがたは、聖書でまだ読んだことがないのか、『家造りらの捨てた石が/隅のかしら石になった。これは主がなされたことで、わたしたちの目には不思議に見える』。
43)それだから、あなたがたに言うが、神の国はあなたがたから取り上げられて、御国にふさわしい実を結ぶような異邦人に与えられるであろう。
44)またその石の上に落ちる者は打ち砕かれ、それがだれかの上に落ちかかるなら、その人はこなみじんにされるであろう」。

イザヤは民を非難する

神さまは、証と福音の教えを神さまに従うものだけのものとしておくように命じられた。

民の罪悪のために、神さまは祝福の手を控えておられるが、わたしたちは神さまの祝福を待ち望む。
イザヤ自身とイザヤの子どもたちはイスラエルにとってのしるしであり、これからおきることの前触れである。

民の中に問題があるとき、魔術師や占い師に答えを求めようとしているが、
本来は、生ける神さまに頼り、神さまから導きを得ようとするべきではないか。
福音の教えと証に答えを見出すべきではないか。

民が福音と証しで語らないとすれば、民の中に神さまの光(導き)がないためである。

彼らは虐げられ、飢え渇き、そして、その苦痛の原因が王や神さまにあるとして、神さまを呪う。
地には罪と災難と苦しみがあり、神さまの導きが全くない状態になる。

※民は神さまから離れたために祝福を失って苦しみを受けている。
 それを神さまの責任として恨む。
 そのために民はますます神さまの教えから離れる。

(16-22節)

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ここまで読まれて、自分には関係のない話だ、何の役にたつんだ、と思われているかもしれませんね。

わたしも最初に聖書を読んだとき、とても信じられない、こんなことありっこない、と思っていました。
それでも、その後、何度か聖書に出会う機会があり、読む機会があり、自分に当てはめて考えるようになりました。
そのうちのいくつかをここに示しました。

あなたも、この物語から、自分に役立つなにかをみつけていただければ幸いです。

あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
(ヨハネによる福音書5章39節)

聖書のこの書、この物語のどんな点でイエスキリストを見出しますか?
ここまで読んでくださったあなたへ
あなたは神様の子で、神様のみもとに永遠に住むことができる存在にです。
地上に来たのは、いろいろな経験により、あなたの能力が増し加わり、ほかの人を助けることができるようになるためです。

わたしもこれから成長していきたいので、あなたとともに歩んでいきたいと願っています。

神様はあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。

ご質問があれば、下のほうにコメント欄があるのでそちらに書き込んでください。

聖書のオンライン版は
https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures?lang=jpn
または
https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
を参照してください。
あなたがこの世に来たのは、神様の戒めに従って生きるため。
神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えても、それに惑わされずに生きるために神様は道を示してくださいます、
そして、たとえ道を誤ったとしても、また戻ってくる方法があります。

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