アッスリヤが北イスラエル王国を征服し、ユダ王国にも押し寄せる。神さまに頼り、信仰を固く守れば、神さまの祝福で守られただろう。
エルサレムが攻められたことはニーファイにとっては過去の出来事である。これを伝える目的は同じことが繰り返し起きることの警告と末の日の救いを伝えることにある。
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モルモン書のニーファイ第二書18章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。
モルモン書・ニーファイ第二書18章の要約と感想
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マヘル・シャラル・ハシ・バズ
ヘブライ語で「急いで略奪しようと,速やかに獲物にする」の意。アッスリヤの攻撃が近づいていることへの警告。
イザヤの子の名前として、神さまが与えた。
アッスリアはユダ王国にも迫ってきていた。
(1-4節)
ユタ王国にもアッスリアに攻められる
ユダ王国の民は、自分たちの神さまの教えと守りから離れて、近隣諸国の偶像崇拝に陥っていた。
神さまを心から信じることをせず、儀式を形式的に守り、偶像を拝み、その宗教の教えや習慣を取り入れていたのである。
そのために、ユダ王国(南イスラエル王国)も、北イスラエル王国と同様に、アッスリアの攻撃にさらされた。
アッスリアは、まず北イスラエル王国(地図ではユダ王国の上にある)全土を襲い、その勢いのまま、国境を越えてユダ王国に襲い掛かり、ほぼすべてを征服する。
(5-8節)
- アッスリヤが攻め寄せる
- (ニーファイ第二書18章)
7)それゆえ見よ,主は勢いと水量のある川の水,すなわちアッスリヤの王と彼れのすべての栄光を彼れらのうえにもたらす。それはすべての水路にあふれ,すべての堤みを越え,
8)ユダに流れ込み,あふれみなぎって,首にまで達する。
忠実なものには神さまの守り
国々が連合し、相測り、謀略をめぐらしても達成することはない。命令しても行われない。神さまがユダ王国を守っておられるからである。
ユダ王国の民は自らの安全を得るために他国との密約に頼ってはならない。
他国の者が恐れるものを恐れてはならない。
そうすれば、イスラエルは守られる。
しかし、イスラエルの民の反抗する者にとっては、救い主の存在はさまたげ、躓き、網、わな、落とし穴となる。
(8-15節)
- 隅のかしら石・躓きの石
- (ペテロ第一の手紙2章)
4)主は、人には捨てられたが、神にとっては選ばれた尊い生ける石である。
5)この主のみもとにきて、あなたがたも、それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストにより、神によろこばれる霊のいけにえを、ささげなさい。
6)聖書にこう書いてある、/「見よ、わたしはシオンに、/選ばれた尊い石、隅のかしら石を置く。それにより頼む者は、/決して、失望に終ることがない」。
7)この石は、より頼んでいるあなたがたには尊いものであるが、不信仰な人々には「家造りらの捨てた石で、隅のかしら石となったもの」、
8)また「つまずきの石、妨げの岩」である。しかし、彼らがつまずくのは、御言に従わないからであって、彼らは、実は、そうなるように定められていたのである。(マタイによる福音書21章)
42)イエスは彼らに言われた、「あなたがたは、聖書でまだ読んだことがないのか、『家造りらの捨てた石が/隅のかしら石になった。これは主がなされたことで、わたしたちの目には不思議に見える』。
43)それだから、あなたがたに言うが、神の国はあなたがたから取り上げられて、御国にふさわしい実を結ぶような異邦人に与えられるであろう。
44)またその石の上に落ちる者は打ち砕かれ、それがだれかの上に落ちかかるなら、その人はこなみじんにされるであろう」。
イザヤは民を非難する
神さまは、証と福音の教えを神さまに従うものだけのものとしておくように命じられた。
イザヤ自身とイザヤの子どもたちはイスラエルにとってのしるしであり、これからおきることの前触れである。
民の中に問題があるとき、魔術師や占い師に答えを求めようとしているが、
本来は、生ける神さまに頼り、神さまから導きを得ようとするべきではないか。
福音の教えと証に答えを見出すべきではないか。
民が福音と証しで語らないとすれば、民の中に神さまの光(導き)がないためである。
彼らは虐げられ、飢え渇き、そして、その苦痛の原因が王や神さまにあるとして、神さまを呪う。
地には罪と災難と苦しみがあり、神さまの導きが全くない状態になる。
※民は神さまから離れたために祝福を失って苦しみを受けている。
それを神さまの責任として恨む。
そのために民はますます神さまの教えから離れる。
(16-22節)