こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のアルマ書25章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。
モルモン書・アルマ書25章の要約と感想
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神さまはご自分に反抗する者をも使って悪人に裁きを下されることと、すべての人に救いの御手を伸ばされ、機会を与えておられることがわかる。
レーマン人はアモナイハを滅ぼす
レーマン人は自分たちの同胞(アンタイ・ニーファイ・リーハイ人)を殺すことになったことに怒り、ニーファイ人への報復を誓い、アンタイ・ニーファイ・リーハイ人を殺そうとはしなかった。
かわりに、アモナイハの民を滅ぼした。
モルモン書のアルマ書16章には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があり[…]
その後も何度かニーファイ人と戦ったが、その戦いでレーマン人は追い払われ、殺された。
※アンモンたちはモーサヤ王が亡くなる前にゼラヘムラを出発し、アンモンがイシマエルの地でラモーナイ王と出会い、その後、(レーマン人が占領していた)ニーファイの地でアロンが父王に神さまの御言葉を伝え、レーマン人の多くが改宗したのである。
※同じころ、大さばきつかさとなったアルマがニーファイ人が神さまの教えをおろそかにし始めているのを見て、大さばきつかさの職を譲り、神さまの教会の大祭司として、各地で悔い改めを伝えていた。
※アルマはアモナイハにも神さまの御言葉を伝え、アミュレクとともに牢に入れられたのである。
※アルマとアミュレクが牢から救い出され、アモナイハを追い出された人たちに神さまの教えを伝えたあと、ニーファイ人はレーマン人の襲撃を受け、アモナイハが滅びたのである。
※神さまはアモナイハを滅ぼすためにレーマン人を使われた。レーマン人はニーファイ人を襲撃した理由はこの25章の冒頭にある通りである。
※神さまはすべてのことを見て計画し実行される。偶然の出来事はない。
(1-3節)
アルマ書16章
1)さて,ゼラヘムラの地は非常に平和であり,ニーファイの民のさばきつかさの統治第十一年二月五日までの数年の間,戦争もなければ争いもなかった。ところが,第十一年の二月五日に,全地で戦争を告げる叫びが聞かれた。
2)見よ,レーマン人の軍隊がすでに荒れ野の方から境の地に侵入してアモナイハの町に入り,民を殺して町を破壊し始めたからである。
3)そして,ニーファイ人がレーマン人をその地から追い払うに足る軍隊を起こす前に,レーマン人はアモナイハの町にいた人々を殺し,ノアの地の境付近でもかなりの人々を殺し,また残りの人々を捕らえて荒れ野へ連れ去ってしまった。
・・中略・・
9)このようにして,さばきつかさの統治第十一年が終わった。レーマン人はすでにその地から追い払われ,アモナイハの民は滅びた。まことに,アモナイハ人はことごとく殺され,非常に大きいので神でも破壊できないと彼らが述べた,その大きな町もまた滅びた。
10)見よ,その町は一日で荒れ廃れた所となり,しかばねは犬と荒れ野の野獣に食い裂かれてしまった。
11)それでも多くの日の後,彼らの死体は地の面に積み上げられ,薄く土がかけられた。しかし,そのにおいがとてもひどかったので,長年の間,アモナイハの地に来てそこを所有しようとする者はいなかった。そして,その土地は「ニーホル人の廃虚」と呼ばれた。それは,そこで殺された者たちがニーホルの教団に属し,彼らの地が荒れ廃れたままであったからである。
12)ニーファイの民のさばきつかさの統治第十四年まで,レーマン人は再びやって来てニーファイ人と戦うことをしなかった。このようにして三年間,ニーファイの民は引き続き全地に平和を保った。
ノアの祭司の子孫
レーマン人は、アモナイハを滅ぼした際とその後のニーファイ人との戦いで追い払われ殺された。
ノアの祭司であったアミュロンとその仲間たちの子孫は(レーマン人として戦い)ほとんど全員がニーファイ人の手によって殺された。
アミュロンとその仲間たちの子孫で生き残った者たちは、荒野に逃げ込んだ後、その地で、神さまの御言葉に信仰を持つようになったという理由で、レーマン人の多くを火あぶりにして殺させた。
この殉教を見てレーマン人が怒り、アミュロンとその仲間たちの子孫の間で争いが起こり、レーマン人はアミュロンとその仲間たちの子孫を狩りだして殺し始めた。
※アビナダイは死の直前に、ノア王と祭司たちの行く末について預言をした。それがこの時代に成就しているのである。
(4-12節)
モルモン書のモーサヤ書17章には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があ[…]
モーサヤ書17章
15)「見よ,まことにあなたがたがわたしに行ったように,あなたがたの子孫も多くの人に,わたしが今受けている苦しみ,火あぶりの死の苦しみを与えるであろう。その人々が,主なる彼らの神の救いを信じているという理由でそうするのである。
16)そしてあなたがたは,自分の罪悪のために,あらゆる病気で苦しむであろう。
17)またあなたがたは,至る所で打たれ,野生の羊の群れが猛獣に追われるように,追われてあちらこちらに散らされるであろう。
18)その日にあなたがたは狩り出され,敵の手に捕らえられ,その後,わたしが今受けているように,火あぶりの死の苦しみを受けるであろう。
レーマン人の多くが改宗した
ニーファイ人との戦いのあと、荒野に逃れたレーマン人と、自分の国に引き上げたレーマン人の中の多くの者は、ニーファイ人との戦いで多くの同胞を失い、多くの苦難を味わったことで、アロンとその同僚たちがレーマン人たちに宣べ伝えた言葉を思い出し、先祖の言い伝えを信じるのをやめて、救い主を信じるようになり、ニーファイ人に大きな力を与えらえたことを信じるようになった。
彼らはイシマエルの地とニーファイの地に移り住み、アンタイ・ニーファイ・リーハイ人の仲間になり、アンタイ・ニーファイ・リーハイ人がしたように、自分たちの武器を埋め、義にかなった民になった。
※レーマンとレミュエル、イシマエルの子孫の多くは、アンモンたちモーサヤ王の息子たちとその同僚たちの教えた、神さまの正しい教えに戻ってきたのである。
※神さまはすべての人に救いの手を差し伸べておられる。心をかたくなにせず、神さまの言葉を受け入れる人たちは救いを得る。
(6節、13-14節)
モーセの律法はキリスト来臨の予型
ニーファイ人も、アンタイ・ニーファイ・リーハイ人も、救い主に信仰を持つ者はモーセの律法を守った。
同時に、救い主キリストの来臨を待ち望んでいた。
モーセの律法はキリストの来臨の予型であるので、来臨されるまでは外形上の務めを守らなければならないと信じていた。
モーセの律法によって救いが得られるのではないが、キリストを信じる信仰を強めるのに役立った。
彼らは信仰を持って、永遠の救いを得られるという希望を持ち続けた。
ヤコブ書4章
5)見よ,預言者たちはキリストを信じ,キリストの名によって御父を拝した。また,わたしたちも,キリストの名によって御父を拝している。モーセの律法は,わたしたちの心をキリストへ向けるものであるから,わたしたちは今それを守っている。そして,そのためにわたしたちは聖められ,義とされているのである。
モーサヤ書3章
14)しかし,主なる神は御自分の民が強情な民であることを知って,彼らに律法,すなわちモーセの律法を定められた。
15)そして主なる神は,御自分の来臨に関する多くのしるしと不思議,予型と影を彼らに示された。聖なる預言者たちもまた,主の来臨について彼らに語った。それでも,彼らは心をかたくなにし,主の血の贖罪によらなければモーセの律法は決して役に立たないということを理解しなかった。
モーサヤ書13章
30)そこで,彼らに律法が,まことに,勤めと儀式の律法が与えられた。その律法は,神と,神に対する義務を思い起こさせるために,日々厳密に守らなければならないものであった。
31)しかし見よ,わたしはあなたがたに言う。これらのものはすべて,将来起こることの予型であった。