自分に問う
預言者を通して与えられる警告を自分ごととして聞いているか。
聖典に書かれていることを自分ごととして読んでいるか。
預言者が伝えようとしていることを求めているか。
神さまと交わした聖約を忠実に守ろうとしているか。
本心からそうしているか。
人格を変えようとしているか。
現状に甘んじてこのままでいいと思っていないか。
ゆっくりとした川の流れに逆らって上に向かっていない限り、今のまま、は下流へと向かうことになる。
預言者は全てを捧げる、と公言され、その通りに生きておられる。
預言者と程遠いわたしが現状にとどまるなら、それはもっと離れていく、ということではないか。
きっかけが与えられるのを待っているのか。
すでに与えられているものに目を向けているか。
自分は何のために生まれてきて
何のために生きているのか。
常に手を差し伸べられ助けようとしてくださる方に今日、わたしは何を報告したいだろうか。
自分が裁く必要はない
敵は、あなたには罪がある(裸である)、だからあなたは価値がない、主に会うにはふさわしくない、主の前に行くことができない、罪を隠せ、主の前から隠れろ、離れろ、とささやく。
そのささやきの通り、人は自分に罪がある、だから主の前に行くことができない、と自分を裁くことがある。
神さまは、裁くことは主にゆだねられました。自分が裁くことではない。
アダムが堕落したので、神さまご自身以外、だれも自分の力だけで救いを得ることはできなくなりました。
それで、神さまは、無限の愛と憐れみにより、救い主を用意してくださいました。
救い主は、無限の贖いによって私たちを覆ってくださいます。
私たちにできることは、神さまに近づこう(もとに戻ろう=悔い改めよう)と務めることだけです。
救い主の贖いは無限、わたしたちの努力は有限(すこしだけ、無限にくらべたら、見えないほど小さい)
救い主はその無限の力をわたしたちの努力に足してくださる。
無限+極小 = 無限