贖いは救い主の憐れみによるもの。
救い主の光は無窮であること。
モーセの律法は救い主のもとに人を連れてくる養育の役割であること。
こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。
モルモン書のモーサヤ書16章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。
モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。
モルモン書・モーサヤ書16章の要約と感想
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すべての人が救い主の救いを見る
将来、すべての人が救い主の救いを見る
すべての人が神さまの裁きは公正であることを神さまの前で認める。
不死となって神さまの前で、自分の行いに応じて神さまに裁かれる。
行いがよい=永遠の生命と幸福
※無窮=永遠=救い主を示す
行いが悪い=永遠の罰=悪魔に引き渡される
※悪魔=彼らを服従させて神さまに反抗させたものを示す
(1節、10-11節)
- すべての人が神さまを公正と認める
- (モーサヤ書27章)
31)まことに,すべてのひざがかがみ,すべての舌が贖い主の御前で告白します。すべての人が立って贖い主に裁かれる終わりの日に,彼らは贖い主が神であられることを告白します。またそのとき,神に頼らずにこの世の中で生きている者たちは,永遠の罰の裁きが自分たちにとって公正であることを告白します。そして,彼らはすべてのことを見通す贖い主の目の下で震えおののき,縮み上がります。
- すべての人が神さまの裁きを受ける
- (アルマ書41章)
3)また,人々が自分の行いに応じて裁かれること,そして現世での彼らの行いが善く,心の望みも善かったならば,彼らが終わりの日に善なるものに回復されることは,神の正義にとって必要である。
4)また,彼らの行いが悪ければ,それらの行いは災いとして彼らに回復される。したがって,すべてのものはふさわしい状態に回復され,あらゆるものはその本来の体に回復されるのである。すなわち,死すべき状態は不死に,朽ちるものは朽ちないものによみがえるのである。そして,無窮の幸福な状態によみがえって神の王国を受け継ぐか,あるいは無窮の不幸な状態によみがえって悪魔の王国を受け継ぐ。すなわち,前者は一方にあり,後者は他方にある。
始祖の堕落のゆえに
始祖アダムが悪魔に騙されて神さまに禁じられた実を食べたので神さまの前から絶たれた(神さまの前から落ちた=堕落した)。
アダムが堕落したので、その子孫であるすべての人は迷った状態になった。
つまり、肉欲や官能に溺れ、悪魔に従い、善と悪を知りながら悪魔に従うようになった。
すべての人は、この状態のままでは、救いを得ることができない。
(3-4節)
- 堕落のために二つの死がもたらされた
- (アルマ書42章)
6)しかし見よ,人は死ぬものと定められた。そこで人は,命の木から絶たれたときに,地の面から絶たれることとなった。そして人は,とこしえに迷った状態になり,まことに,堕落した者となったのである。
7)さて,これによって分かるように,わたしたちの始祖は,肉体的にも霊的にも主の御前から絶たれてしまった。このようにして,わたしたちが知っているように,彼らは自分の意志に従う者となったのである。
8)さて見よ,そのときすぐに人がこの肉体の死から救われることは,偉大な幸福の計画を損なうことになるので適当ではなかった。
9)そこで,魂は決して死ぬことがあり得ず,また堕落は全人類に肉体の死だけでなく霊の死ももたらしたので,すなわち彼らは主の御前から絶たれたので,人類はこの霊の死から救われることが望まれた。
10)人類は生まれながらの本性のために,肉欲や官能におぼれ,悪魔に従う者となったので,この試しの状態は彼らが用意をする状態となった。すなわち,準備の状態となったのである。
11)さて,わが子よ,覚えておきなさい。もし贖いの計画がなければ(それを捨てるならば),人が死ぬとすぐに,その霊は主の御前から絶たれるので不幸な状態に陥ったであろう。
12)さて,人々をこの堕落した状態から救い出す手段はまったくなかった。この堕落した状態は,人が自分の不従順のために自分自身に招いたものである。
13)したがって,正義によれば,贖いの計画はこの試しの状態,すなわちこの準備の状態で人々が悔い改めるという条件がなければ成し遂げられない。これらの条件がなければ,正義の働きを損なうことなしに憐れみが効力を発することは不可能だからである。正義の働きが損なわれることはあり得ない。もしそのようなことがあれば,神は神でなくなる。
14)このようにして,わたしたちが知っているように,全人類は堕落した状態になり,正義の支配下に入った。まことに,この正義は神の正義であり,全人類がとこしえに神の御前から絶たれることになったのである。
救い主のおかげですべての人にもたらされたこと
救い主が贖いをしてくださらなかったら、すべての人はだれも救いにあずかることはできず、人々は限りなく迷った状態になっていた。
救い主が死の縄目を解いてくださらなければ、すべての人は死からよみがえることはできなかった。
しかし、救い主が、アダムの咎もわたしたちの罪も贖いをしてくださったので、死を乗り越え、完全な体に復活し、神さまの救いに至る道が備えられたのである。
救い主=神の御子=キリストは復活され、全人類に復活を備えてくださった。
墓は勝利を得ず、死はキリストに飲み込まれた。
キリスト=子なる神=救い主 は 無窮(永遠)の光、無窮(永遠)の命。
救い主の力により、すべての人は復活する。
救い主=キリストを通じてのみ救われる。
(6-9,13,15節)
- 救い主の贖い
- (アルマ書42章)
15)さて,憐れみの計画は,贖罪が行われなければ成し遂げることができなかった。したがって,神は憐れみの計画を成し遂げるため,正義の要求を満たすため,また御自分が完全で公正な神,憐れみ深い神であり続けるために,御自分で世の罪の贖いをされるのである。(モーサヤ書3章)
7)見よ,この御方は数々の試練に耐え,肉体の苦痛や飢え,渇き,疲労に耐えられるが,それは,人にとっては死ぬ以外に耐えようのないものである。見よ,御自分の民の悪事と忌まわしい行いのためにこの御方が受けられる③苦しみは非常に激しく,あらゆる毛穴から血が流れ出るほどだからである。
9)見よ,この御方は,御自分の民のところに来られ,人の子らがその御名を信じる信仰を持ちさえすれば,救いが与えられるようにされる。ところが,このようなことがあるにもかかわらず,彼らはこの御方をただの人と思い,また悪魔につかれていると言い,この御方を鞭打ち,十字架につける。
10)しかしこの御方は,三日目に死者の中からよみがえられる。そして見よ,この御方は世を裁く立場に立たれる。また見よ,これらのことはすべて,人の子らに義にかなった裁きが下されるために行われるのである。
11)そして見よ,この御方の血は,アダムの背きのために堕落した者たちの中で,自分たちに関する神の御心を知らずに死んだ者たち,あるいは気づかないで罪を犯した者たちの罪も贖う。
- 救い主は無窮の光
- (教義と聖約88章)
5)この栄光は,長子の教会の栄光,すなわちすべての中で最も聖なる御方である神の栄光であって,神の子イエス・キリストを通じて来る。
6)イエス・キリストは高い所に昇り,また万物の下に身を落とし,それによってすべてのことを悟って,万物の中にあり,万物を貫いてあり,真理の光となった。
7)この真理は輝いている。これはキリストの光である。また,彼は太陽の中にあり,太陽の光であり,太陽が造られたその力である。
8)また,彼は月の中にあり,月の光であり,月が造られたその力である。
9)また,星の光であり,それらが造られたその力である。
10)地球,すなわちあなたがたが立っている地球と,その力も同じである。
11)また,今輝いてあなたがたに光を与える光は,あなたがたの目を明らかにする者によって来るものであり,これはあなたがたの理解を活気づける光と同じである。
12)この光は,広大な空間を満たすために神の前から発している。
13)これは万物の中にあり,万物に命を与える光であり,万物が治められる律法,すなわち御座に着き,永遠の懐にあり,万物のただ中におられる神の力である。
悪人は追い出される
救い主の声に聴き従わなかったために、救い主は彼らを贖うことができない。
肉欲にふける人=自分自身の肉の性質の中にとどまり、罪の道と神に背く道を進む人=自分の肉の思いと欲望のままに振る舞う人=救い主が憐れみの御腕を伸べている間に救い主に請い願わず、頼ろうとせず、罪悪を戒められてもそこから離れようとしない人=悔い改めようとしない人=悪魔に従う人
悪魔が彼らを支配するすべての力をもつ。
この人たちは神さまの敵である。
神さまの法廷で自分の行いに応じて裁かれる。
行いが悪ければ、無窮の罰の定めの復活にあずかる=悪魔に引き渡される
(2,5,12節)
- 神さまに反抗するものは追い出される
- (教義と聖約63章)
54)そのときまで,賢いおとめたちの中に愚かなおとめがいるであろう。そしてそのときに,義人と悪人の完全な分離がある。その日に,わたしは,わたしの天使たちを遣わし,悪人を抜き取って,消すことのできない火の中に投げ込もう。(マタイによる福音書13章)
41)人の子はその使たちをつかわし、つまずきとなるものと不法を行う者とを、ことごとく御国からとり集めて、
42)炉の火に投げ入れさせるであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。(ガラテヤ人への手紙5章)
19)肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、
20)偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、
21)ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。(アルマ書41章)
11)さて,わが子よ,生まれながらの状態,すなわちこの世的な状態にあるすべての人は,苦汁の中にあり,罪悪の縄目を受けている。彼らはこの世で神なしに生きている人々であり,神の性質に反して行動してきた。したがって彼らは,幸福の本質に反する状態にある。
モーセの律法はキリストの影
モーセの律法はキリスト=救い主のもとに来るように人を備えるものであり、モーセの律法が人を救うのではなく、主なるキリストを通じて救いが与えられる。
ノア王の祭司はそのように教えていないので、アビナダイが正した。
(14節)
まとめ
人は不死となる肉体を得たのちに
神さまの裁きを受ける
そこでそれまでの行いを裁かれる
裁くのは神さまであり
すべてをご存知であるから
言い逃れは不要
善へと導かれたのに
叛いたまま人生を終えたなら
神さまは善なる方であるから
神さまとともに住むことはできない
おまけ
アビナダイが民に述べた言葉(13-15章は王と祭司に向けられた言葉)
民が全てキリストの救いを見、裁きは正しいと告白する時が来る。
霊のことを思わず、神に背く者は決して救われない。
キリストの復活により、全ての人は復活し、神の裁きに召される。
義人は永遠の生命を得、
悪人(ことさらに背く者)は永遠に神の前から断ち切られる。
悪魔が治める。