モルモン書・モーサヤ書7章の要約と感想

モルモン書のモーサヤ書7章には、「義を求めて正しく生きること」と「神様を信じる信仰を育てること」の大切さが示されています。人が存在するのは、神様の戒めに従って生きるためです。また、神様の戒めに従うためには、神様を信じる信仰を育てる必要があります。

こんにちはおおさむです。訪問ありがとうございます。

モルモン書のモーサヤ書7章は何を伝えているんだろうと思われているかもしれません。

モルモン書を学び始めてから40年以上が過ぎた私の考えを伝えます。お役にたてば幸いです。

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モルモン書・モーサヤ書7章の要約と感想

モルモン書のモーサヤ書7章は掲載すると長くなるので以下には掲示していません。
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モルモン書のモーサヤ書7章では、かつて、ニーファイの地を逃れた後、その地に戻っていった民がどうなったか知るために派遣された人たちが、その民を発見し、その民が受けてきた苦難とその理由が記載されている。
この章では、その民の王が概要を述べるにとどまっているが、こののちの章では、より詳しく記載されている。
モーサヤ書の7章には、9章から24章にかけて記載されている、分離したニーファイの民の出来事のあらましがきれいにまとまっている。

先祖の地に戻った人たちを探しに行く

モーサヤ1世が王の時に、モーサヤとモーサヤに従う人たちはニーファイの地を出てゼラヘムラの地に導かれた。
そのときに、先祖の地、ニーファイの地に戻ろうとした一団があった。
モーサヤ1世、ベニヤミン王のあと、モーサヤ2世の時代になり、民はニーファイの地に戻っていった人たちの消息が知りたいと願った。
民がうるさく訴えたために、モーサヤ2世は16人の屈強な男が先祖の地へ行って調べてくることを許した。

こうして、ニーファイの地でレーマン人の奴隷となっていたリムハイの民を救う一団が先祖の地、ニーファイの地に送られることになった。

モーサヤ2世に許可を受けた翌日に彼らは出発したが、どの方向に行ったらよいのかわからず、40日間も荒野をさまよった。

ようやく近くまで来て、先祖の地に入ったところで、その地の王、リムハイ王に出会い、縛られて2日間牢に入れられた。

その後、リムハイ王の前に引き出され、リムハイ王の問いに答えるように命じられた。


モーサヤ1世の時代、一団が先祖の地へ戻ろうとしたときから約80年ほどが経過していたと思われる。
ゼラヘムラでも3代目の王となっていた。
ニーファイの地に戻った一団も3代目の王となっていた。

ベニヤミン王の統治の初期の時代に、(リーハイの地やニーファイの地から)レーマン人が攻めてきていたが、ベニヤミン王の晩年は平和であり、モーサヤ2世の統治が始まってからも平和が続き、レーマン人が攻めてくることはなかった。そのため、ゼラヘムラに住む民は、ニーファイの地がどこになるか、わからなかったのであろう。

ニーファイの地を探しにいった一行は、40日間も荒野をさまよったが、あきらめて帰ることはなかった。強い気持ちで出かけていたためだろう。

民は自分たちの心配ごとを指導者に訴えて構わないし、それが同胞を救うこともある。

先祖の地に送られたのは自ら行きたいと望んで許可を願った人たちであり、王が選んだのでも、命じたのでもない。

(1-8節)

ゼニフ王とアンモンの自己紹介

ニーファイの地にもどろうとしてゼラヘムラを出ていき、ニーファイの地に入った一団から統率者として選ばれたのはゼニフ王であった。その息子ノア王、ノア王の息子リムハイと続く。

その人たちの消息を探しに行った一行のうちの4人が城壁に近づいたときにリムハイ王の衛兵が彼らをとらえたが、それは、リムハイ王がその理由を尋ねるためであった。その理由がなければ、4人は衛兵に殺されていた。

一行のリーダのアンモンが、リムハイ王から話すことを許されたときに、そのことを神様に感謝した。そして、自分たちはゼニフに率いられて出ていった民を探しに来たことを告げた。

※リムハイ王はたまたま衛兵とともに門の外にいた。そこへアンモンたちがやってきた。その「偶然」の出会から、リムハイ王とアンモンは話をすることができた。
ゼニフの民が、心底、神さまの助けを求めている、その時に、である。

(9-13節)

リムハイ王の反応

リムハイ王は、少し前に、ゼラヘムラの地の民に助けを求めようと、43人の人を荒野に旅出させたが、この人たちも荒野で迷い、熱心に探したがゼラヘムラの地は見つけることができなかった。かわりに多くの民が絶滅した地を見つけた。
そのため、リムハイ王はゼラヘムラの民は滅びたと思っていたようだ。

リムハイ王は、アンモンの話からゼラヘムラの民は滅びていないと知り、とても喜び、その喜びを民にも知らせようとした。
それは、レーマン人の重税を逃れるように、ゼラヘムラの民が自分たちを救い出してくれると期待したからである。

その喜びは、ニーファイ人の奴隷になり、ニーファイ人に貢物を治める方がよい、と言わせるほどであった。

リムハイ王は、アンモンたちの縄を解かせ、多くの艱難にあい、飢えと渇きと疲労に苦しんできた同僚たちも連れてきて、疲れを癒せるようにした。

その翌日、リムハイ王はすべての民に布告を出し、すべての者が神殿に集まって、王の言葉を聞くようにさせた。

民が集まると、リムハイが確信していること、自分たちがレーマン人の支配から逃れること、について話をした。


その当時、リムハイ王と民は、レーマン人の支配に苦しみ、救いを求めて神様に祈っていたのだろう。
王には、アンモンたちの訪れは、祈りの答えと思えたのだろう。
この時まで、リムハイの民はレーマン人と何度も戦い、敗れていたが、リムハイ王はアンモンたちが来て、アンモンたちの素性を知り、目的を知ったとき、救われる道が残されている、と確信した。

リムハイ王は、かつてニーファイが建てた神殿に民をあつめ、その喜びを伝えようとしていた。


リムハイ王も民も神殿を大切にしていた。
リムハイ王の確信は、このあとその通りに実現するが、この時点ではその方法も可能性も何もわかってはいない。
しかし、確信による大きな喜びを民に分かち合っている。

(14-18節)

リムハイ王が自分たちの状況について話す

神さまは、かつて、エジプトで奴隷になっていたイスラエルの子らを、アブラハムに約束したカナンの地に導き、様々なことをして、彼らを養われた。
そして、自分たちの先祖を罪悪がはびこるエルサレムから連れ出し、その子どもたちを守ってこられた。

その神さまが自分たちリムハイ王の民をレーマン人の奴隷になるようにされたのは、リムハイ王の民がかつて犯した罪悪と忌まわしい行いのためである、と告げた。

ゼラヘムラを出て、先祖の地、ニーファイの地を目指した民によって王に任じられたゼニフは、今や敵のものになった先祖の地を受け継ぎたいという望みが強すぎたので、彼らを奴隷にしたいと考えていたレーマン王と交渉し、その悪だくみに騙された。
その地に住むということは、敵に囲まれてしまうことだ、と気つかず契約を交わした。
レーマン王は、リーハイ・ニーファイの町やシャイロムの町、その周辺の土地を、ゼニフたちに渡した。

リムハイ王たちは、所有するすべてのものの半分をレーマン人に納めるようになった。
レーマン人に持ち物の半分を納めないとリムハイ王の民はレーマン人に殺された。
これは耐えがたい苦難であり、嘆き悲しんで当然である。


エジプトで奴隷になっていた先祖を神さまは救い出された。それなら、リムハイ王の民も救い出してくださるだろう。
先祖は紅海を歩いて渡った。先祖は滅びないように守られた。それなら、リムハイ王の民も助けてくださるだろう。
ただし、その前に、自分たちが神さまに頼る(信仰をもって戒めを守る)必要ある。

ゼニフは判断を誤り、レーマン王に騙された。
しかし、そのおかげで、
ノア王の時代にアビナダイが悔い改めを伝えるとともに、創造から救い主の誕生までを証しし、その話を聞いたアルマが悔い改めて、のちのゼラヘムラの教会の発展へとつながっている。
リムハイ王の時代には、24枚の金版が見つかり、ヤレドの民の記録(エノス書)が明らかになる。
神さまは、人の失敗や判断ミスも御業の発展のために用いられる。

(19-23節)

リムハイ王の民が嘆き悲しむのが当然の理由

多くの民が殺され、血が無駄に流された。
これらを引き起こしたのは民の罪悪のためである。

  • リムハイ王の父ノア王の民は神さまの戒めに背いた。
  • 彼らは神さまの御言葉に聞き従おうとしなかった。
  • そのため、民の中に争いがおこり、民同士で血を流しあった。
  • 神さまが選ばれた預言者を殺した。
  • そのほかにもっと多くの罪悪を行った。
  • そのため、神さまの怒りを招いた。

    神さまは、
    ご自分の民が戒めに背く日にはこれを助けず、栄えないように道をふさがれる。
    戒めに背くものの行いは、躓きの石となる、
    ご自分の民が汚れを撒くなら、旋風の中でその殻を取り入れることになる。その結果は毒である。
    ご自分の民が汚れを撒くなら、速やかな滅亡をもたらす東風を招くことになる。
    と言われた。

    その約束が果たされたので、リムハイ王の民は打たれて苦しんでいる。


    表面的には、敵の策略にはまって重い税に苦しめられているだけに見える。
    そこに、神さまの御手を見て取るか、無視するか。

    リムハイ王とその民は、苦しみの中で、預言者の警告が実現したことを知り、ようやく悔い改めの道を歩みはじめ、救いの手が伸ばされたことを知る。

    (24-32節)

    参照聖句
    背くときには神さまは助けない
    (サムエル記上12章)
    15)しかし、もしあなたがたが主の声に聞き従わず、主の戒めにそむくならば、主の手は、あなたがたとあなたがたの王を攻めるであろう。

    (歴代志下24章)
    20)そこで神の霊が祭司エホヤダの子ゼカリヤに臨んだので、彼は民の前に立ち上がって言った、「神はこう仰せられる、『あなたがたが主の戒めを犯して、災を招くのはどういうわけであるか。あなたがたが主を捨てたために、主もあなたがたを捨てられたのである』」。

    蒔いたものを刈り取る
    (ガラテヤ人への手紙6章)
    7)まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。
    8)すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう。

    (教義と聖約6章)
    33)息子たちよ,善を行うのを恐れてはならない。あなたがたは,何であろうとまいたものをまた刈り入れるからである。それゆえ,あなたがたは善をまけば,報いとしてまた善を刈り入れることになる。

    東風
    (エレミヤ書18章)
    17)わたしは東風のように、彼らをその敵の前に散らす。その滅びの日には、わたしは彼らに背を向け、顔を向けない」。

    民が殺した預言者、アビナダイの預言

    • 民の悪事と忌まわしい行い
    • 悔い改めが必要なこと
    • 将来に起こること
    • キリストの来臨
    • キリストは万物の父なる神であられること
    • キリストは後に人の形を取られること
    • 人は神さまの形に作られたこと
    • 神さまが人の子らの中に降ってきて、血肉を受け、地の面に出ていかれること

    (26-27節)

    リムハイ王は民に解決策を伝えた

    十分に固い決意をもって神さまに立ち返り、神さまに頼り、力の限り神様に仕えるならば、
    つまり、自分たちの罪を悔い改めるなら

    神さまの御心によって、奴隷の状態から救い出してくださる。

    ※問題の解決策
    ・改心
    ・神さまに頼る
    ・神さまに仕える
    ・助けを求めて祈り、信仰をもって立ち向かう
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    わたしも最初に聖書を読んだとき、とても信じられない、こんなことありっこない、と思っていました。
    それでも、その後、何度か聖書に出会う機会があり、読む機会があり、自分に当てはめて考えるようになりました。
    そのうちのいくつかをここに示しました。

    あなたも、この物語から、自分に役立つなにかをみつけていただければ幸いです。

    あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
    (ヨハネによる福音書5章39節)

    聖書のこの書、この物語のどんな点でイエスキリストを見出しますか?
    ここまで読んでくださったあなたへ
    あなたは神様の子で、神様のみもとに永遠に住むことができる存在にです。
    地上に来たのは、いろいろな経験により、あなたの能力が増し加わり、ほかの人を助けることができるようになるためです。

    わたしもこれから成長していきたいので、あなたとともに歩んでいきたいと願っています。

    神様はあなたを愛し、あなたの幸せを願っておられます。

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    https://www.wordproject.org/bibles/jp/index.htm
    を参照してください。
    あなたがこの世に来たのは、神様の戒めに従って生きるため。
    神に敵対する存在が真理と誤りを混ぜてあなたに伝えても、それに惑わされずに生きるために神様は道を示してくださいます、
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